2021年5月5日水曜日

わたし、時間

 

  

エレベーターから降りる時のことだった

世間では「○○な時間を生きる」といった表現がよくなされるが

あれは全く間違っている

そう強く気づいた

時間を生きるのでなどなく

時間はわたしによって生きられたり

生きられなかったりするようなものではなく

時間こそがわたしを生きている

時間のほうこそが主体で

たまたま

このわたしなども指の先の爪の伸びるようにして生きてみている

わたしは

などと自己認識せず

わたし、時間は

などと自己認識するほうが正確なのだ

あまりにはっきりと

こう気づいた

 

気づいてみれば

いろいろなことが明瞭になってくる

遅すぎたといえば

あまりに遅すぎた認識の獲得だが

ようやく

この地点に来た

じぶんが主体であるかのように妄想する幻想を時間に譲渡して

ようやく

すべてがほんとうにはじまる






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