エレベーターから降りる時のことだった
世間では「○○な時間を生きる」といった表現がよくなされるが
あれは全く間違っている
そう強く気づいた
時間を生きるのでなどなく
時間はわたしによって生きられたり
生きられなかったりするようなものではなく
時間こそがわたしを生きている
時間のほうこそが主体で
たまたま
このわたしなども指の先の爪の伸びるようにして生きてみている
わたしは
などと自己認識せず
わたし、時間は
などと自己認識するほうが正確なのだ
あまりにはっきりと
こう気づいた
気づいてみれば
いろいろなことが明瞭になってくる
遅すぎたといえば
あまりに遅すぎた認識の獲得だが
ようやく
この地点に来た
じぶんが主体であるかのように妄想する幻想を時間に譲渡して
ようやく
すべてがほんとうにはじまる
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