2021年6月29日火曜日

聴いてしまえば


僅かばかりのレコオドに僅かばかりの安物のスコア、それに、決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機、――何を不服を言ふ事があらう。例へば海が黒くなり、空が茜色に染まるごとに、モオツァルトのポリフォニイが威嚇する様に鳴るならば。

                                                                              小林秀雄『モオツァルト』

 


 

この世のいいものには

ぜんぶはムリでも

だいたいには触れたかな

傲岸なことを

思ったりもする

 

ひさしぶりに

深夜

ヴァーグナーの「ジークフリートのラインへの旅」や

「ジークフリートの葬送行進曲」

「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」などを

聴いていたら

あゝ、わたしもジークフリート

あゝ、わたしもトリスタンとイゾルデ

これ以上のものはこの世には存在しない

と感じる瞬間が

やはり

いくつもあって

人類というものの頂点がここにある

と再確認した

 

ヴァーグナーが好きか嫌いか

いったものでは

ない

 

ひとそれぞれ

さまざまに

死のみへと向かって生きてきて

どこかで

ヴァーグナーのこれらに出会う

あゝ、わたしもジークフリート

あゝ、わたしもトリスタンとイゾルデ

あゝ、ここに頂点が!

誰もが思ってしまう

ような

異様な魔品

 

しかも

所有する必要がない

ということに

音楽のすごさはあって

聴いてしまえば

到達!

 

オーディオ機器が必要ではないか?

コンサートホールが必要ではないか?

チケットが必要ではないか?

などなど

そういった話では

ない

 

聴いてしまえば

到達!

所有ということを超えた領域に

持って行かれてしまう





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