心頭を滅却すれば火も自ずから涼し*
とは
どこかの歴史ドラマで見たり
生徒の気を惹こうという教師の欲心から
眠い午後の社会科の授業中
物憂い教室の空気の中に発せられたりして
なんとなく
記憶のどこかに残っていたりする
快川和尚の言葉だが
これは
武田信玄が恵林寺に迎えて師事した
ただならぬ僧
織田信長も敬慕し
この和尚を迎えようとしたが
快川和尚はかたくなに拒絶し続けたため
信長の自尊心は傷ついたらしい
なんとか堪えていたようだが
信長の仇敵佐々木義弼が恵林寺に匿われて
その後越後へ逃げのびたとわかるや
信長はついに激怒する
僧たちを山門の楼上に追い上げ
山門の下に薪を山と積んで
下から火を放って僧たち全員を
焼き殺そうとの挙に出た
快川和尚も門下の僧たちも
さすがに心乱すことなく楼上に端座し
快川和尚は僧たち皆に
辞世の言葉を語らせたという
この時最後に快川和尚が言ったのが
例の有名な句だと言うのだが
有名な後半部に前半部を付けて言えば
安禅不必須山水 滅却心頭火自涼*
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
心頭を滅却すれば火も自ら涼し
禅定は静かな場所でだけなされ得るものではない
無心とさえなれば火の中もまた涼しい良処よ
こう述べてから
火中に身を投じて燃え上がり
禅定に入って立派に死んだというが
こういう死に方は火定(かじょう)というのらしい
心頭を滅却すれば火も自ら涼し
の後半部分よりも
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
という前半こそ真理をよく伝えているよう思える
しかしいつも余計な思いを延々と紡ぎ続けて
時間の停止する見得や詩なるものに留まることのできない
うまれつき無際限な物語ふうの発想をする性の
わたくしはどうしても思ってしまう
楼上で皆焼け死んだはずの僧たちが
誰ひとり他人に伝え得なかったこの言葉を
はたしていったい誰が
後世に伝え得たものだったのかと
せっせと薪を継いで火をさらに熾し
僧たちを炙るのに忙しかった信長方の兵の誰かが
轟音を立てて燃える火のむこうに
奇跡的に聞き取ったとでもいうのか
それとも自分ひとりには
ついに涼しくなってくれなかった火に参って
山門から転がり落ちるようにして
逃げ出した門下の僧のひとりが伝えたものかと
*「本朝参禅録」
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