2021年8月2日月曜日

お梅のからだ


 

あゝ、またわたしは

痩せ細った言葉ならべなどをしようとしてしまうのか……

 

できればもっと脂の乗った言葉ならべをしたいと思うのに

トルコの娼婦街で油たっぷりの料理をさんざんぱら食べた時のよう

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のように

こってり浪漫しちゃってべっとり自惚れちゃって

しばらくは言葉ダイエットしなきゃと思わされるような

そんな言葉ならべだけをしたいと

本当は思っているのに

 

さびしい痩せっぽちの言葉の国……だなどと

不正確な批難なんかはする気はない

わたしの唯一憧れる脂の乗った言葉ならべの巧者谷崎潤一郎が

ちゃんと日本語をあのように並べて見本を示してくれたのだから

日本語やこの列島の精神を批難なんかしてはいけない

いけないのはあちこちを気にし過ぎて見聞きし過ぎて

谷崎さんが『卍』や『瘋癲老人日記』に没入耽溺したように

わたしの絢爛わたしの豪奢わたしの慢心に閉じ籠もり切らないこと

もうこの時代やこの国のセルロイド製のぺらぺら美意識につき合うのは

本当に金輪際すっかりすっかりやめてしまおう

 

暗殺されることになる夜も

壬生の八木邸に戻って来た芹沢鴨のかたわらには愛妾お梅がいたが

元は四条堀川の太物問屋菱屋の妾だった彼女は

芹沢に手込めにされてからはこの男に心を奪われてしまっていたらしい

八木邸で芹沢鴨と平山五郎を切ったのは

玄関から侵入した沖田総司、山南敬介、原田左之助、土方歳三の四人だが

芹沢鴨と全裸で同衾していたお梅を殺したのは誰だったか

殺害決行の時にお梅がいっしょにいれば殺すと

土方歳三は前々から言っていたというから彼だったかもしれない

お梅は布団の上で全裸のままで首を切られ殺されていた

平山五郎は完全に斬首されていて首が身体から離れていたが

お梅の首のほうは身体から離れていたのか

それとも抉られて動脈を切られ骨までむき出しにされていたものか

そこまでを事実に近く詳述した文章にわたしは出会っていない

いずれにしても吉原でいくらも女は手に入る状態だった芹沢が

わざわざ手元に置き続けたお梅とはよほどの女であったのか

それとも自分に懐いてきた心持ちに絆されて夜ごとの同衾を許したのか

 

寒い冬の午後に壬生寺を訪ねてみた際

芹沢鴨を近藤勇と土方歳三が排除して権力を取ったというより

新撰組局長として操行のよくない芹沢鴨の処分を

松平容保が命じたのであっただろうというのが

やはり順当な見方ではあるのか……

などという程度の浅い詮索を頭の中でまわしながら

壬生寺のすぐ隣りにある八木邸にもついでに寄ってみて

芹沢鴨が殺された部屋の中にしばらく座って暗殺の時の模様を聞い

お梅が殺され平山の首が飛ばされた部屋にもしばらくひとりで居り

わたしは芹沢鴨が同衾し続けたお梅のからだを空想していた

同じその部屋で芹沢鴨も沖田総司に斬りかかられ

芹沢は暗闇の中で沖田の鼻の下を切って沖田を倒したらしいが

その後すぐに土方歳三に切りつけられてしまう

芹沢鴨は一端縁側に出て隣室に逃げ込もうとするが

隣室の敷居際に置かれていた文机に蹴躓いて転倒し

背後から土方歳三に切り刻まれるように何度も切られて絶命した

敵を切る時には剣道の然るべき流派のような型を以てではなく

まず敵の脚を払って切っていくのを基本とした土方歳三は

芹沢鴨を斬り殺すにあたっても情け容赦もない切りようをしただろ

後にフランス流の軍隊組織術を数ヶ月で学び取ってしまったこの男

過去から現在まで続いてきた流派や常識に一切拘泥せず

目の前の敵をとにかく先ず殺すことを合理的実際的に遂行し続けた

 

芹沢鴨の行く手を阻んだ文机はいろいろな角度から間近で見たが

どうということもない普通の静かな文机だった

文机を「静かな」と形容することもおかしいが

文机といい芹沢絶命の部屋といい縁側といいお梅絶命の部屋といい

現代の時間の流れの中では

本当にどうということもない静かなものとなっている

むしろホッとさせられるような落ち着いた佇まいとなっている

 

八木邸を出る頃には暗くなりはじめていて

十二月も終わりに近い夕方ともなれば京都の街はすでに寒かったが

ながながと四条通りを歩き続けてホテルのほうへ向かう途中

適当に入ってみた「晃(あき)」という“京のじどり屋”で

気の向くままに焼き鳥や田楽、湯葉を頼んでカウンターで食べ

酒は京都の伊根満開、同じく京都の蒼空、滋賀の一博を出して貰った

脱いだ白いコートを店主が丁寧に畳んで仕舞ってくれたが

アクアスキュータムだったのを見て

「いいものを着ていらっしゃいますね」と言った

こういうところからサービスは一気に変わる場合があるのだが

そういう対応の変化は嫌なものでもあれば嬉しい場合もある

両方が混ざった気分になることも多いがとにかくも

アクアスキュータムを着てきた客だとわかってくれる店というのは

やはり悪いものではない

 

湯葉を舌に乗せて絡ませながら

やはりお梅のからだを思ってみたりしていたかもしれないが

忘れてしまった

田楽の味噌を舌に蕩かしながらだったかもしれない





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