世の中にはいろいろな問題があるようでも
結局は
問題選択
ということにしか真の問題はないようにいつも感じる
あの問題は重要だ
誰もが真剣に考えなければいけないし
解決は急務だ
一刻の猶予も許されない
…などとよく言われる
言われ続ける
というより
たいていの問題はそんなふうに提示され
提示してくる人たちには
いつも重要で
いつも真剣に検討されるべきで
いつも解決が急務で
一刻の猶予も許されない
ところが人の可処分時間と可処分エネルギーは限られているから
こんなふうに提示されるあらゆる問題のすべてに
ひとりの人がつき合い続けることはできない
どの問題も難問であり面倒であり時間を喰うものである上
しばしば専門知識や巧みな思考展開も必要とされるので
まず一人の人が複数の問題に向かいあうわけにはいかない
せいぜいひとつか幾つかの問題を扱えるぐらいのものだろう
ひとりの人の限られた可処分時間と可処分エネルギーの範囲では
ならば
とある時わたしは考えた
あらゆる問題とつき合うのを
わたしだけ
投げ出してしまったらどうか?
どうせ
それが問題と呼ばれうるほどの問題であるならば
ひろい世の中にはそれを問題と受止めて
重要視し
真剣に検討し
たった一度きりの生の時間を割いて
それと向き合い続ける人たちがいるに決まっている
もし
そういう人たちがいないとしたならば
その問題は問題と認めるほどのものではないかもしれず
わざわざわたしが労力を割いて問題化しなくていいものかもしれな
もちろん
わたしだけがその問題性に敏感に反応し
それを問題化して世の中に提示する意義もあるかもしれないが
そういうヒロイズムも
まあ
ごく若いうちだけの知的かつ心情的お遊びではある
時間が解決する
とか
年齢が解決する
とか
いろいろな俗見があるが
これらは存外馬鹿にならないもので
ごく若い時の問題意識は
何十年も経ってふり返ってみれば
時間が有り余っていた青年時代のお遊びにしか見えなくなる
若い時には
死んだらどうなるのだろうなどと悩み
それが解決しなければ生きることはできない
などといった問題設定をしがちだが
生活に追われ金儲けに追われ雑事一般に追われ続けて歳を重ねれば
死んだらどうなるのだろうもなにもなく
ところてん式に死のほうにだけ流されていく
そこにはたしかに「死んだらどうなるのだろう」に対する
最良の解決があると見てもよい
世の中の真の問題は
結局は
問題選択
ということしかないと冒頭に書いたが
あらゆる問題の選択を放下することにするならば
世の中や
問題という概念が
まったく別の反応をするようになる
まったく
わたしはなにをぐだぐだ書いているのだろう
今日は
今日は
東京は気持ちよく晴れて
そよ風があり
昨日までのひどい湿気がやわらいで
いい一日になりそうである
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