2021年8月9日月曜日

そうして二度と戻らなくなる

 

 

今年のはじめに買い換えたスマホのoppo

文字入力がダメで

情報を見たり受信内容を読んだりするのには使うものの

短い文面でも打つのが面倒くさい

一文字打つのに10秒はかかる

「ただし」などと打とうとすると

最初に打った「た」がすぐに「ち」に変わってしまい

次の「だ」をちゃんと打とうとすると5秒ほどは休まないといけな

 

はじめはこうではなくて

快調に打てていたのに

なぜだか途中から遅くなりはじめ

メールやLINEを打つのはほぼ諦めた

写真やダウンロードなどでメモリーを食っているためかと思い

どんどん消去するようにしたがそれとは関係がない

ダメな機種を買ってしまったと諦めて

まだ数ヶ月も経たないうちに他のものを買う決意をしたら

なにかが更新された瞬間に突然打てるようになってきて

今度はやけに快速で打てるようになり

買い換えが必要なくなったのだが

数ヶ月経つうちにまたやけに文字入力の反応が遅くなりはじめて

今では以前よりもひどい遅さになってしまっている

一文字の打ち込みに10秒かかるのだから

小さな検索さえする気にならなくなる

iPadiPad miniが快適に動くので

家にいる時には検索はそっちを使うから困らないものの

外出時にはスマホしか持たないので

店を調べたくなったり居る場所の近所の情報を知りたくなっても

もうどうにもならない

 

やっぱり他のスマホに買い換えないといけないことになりそうだが

前に使っていたハーウェイも

快調で好きな機械だったがだんだんとおかしくなり

Googleの検索がまるで出来なくなった

Yahoo!検索やDuckDuckGoのアプリでは検索できるのに

Googleでの検索が完全に不能になってしまって

これがアメリカと中国の裏戦争の現場かと思わされた

そんな不都合が激しくなっていくうちに

アメリカ民主党からトランプに対する選挙不正工作があのようになされ

どうもあれこれ関係があったのかもしれないと感じた

いま使っているoppoも中国製だから

アメリカからの妨害を激しく受けているのかもしれないが

文字入力以外の点ではよい機械なので残念に感じる

 

すっかり当たり前の道具になってしまったスマホというのは

文字入力が遅かったりそこに不都合があったりすると

すさまじくこちらが不愉快になってくるもので

別の機種に買い換えてみても

またどこかで引っかかるのではないかと思うようになり

そうなるとなにもかもが面倒くさくなってきて

スマホなど使わない生活にある時点で入ってしまいたいとも思う

英語などアルファベットしか使わない言語生活なら

すべてはもっと楽だろうとガラケー時代から思っていたが

いろいろな機械を使ってみるとこの思いはいっそう強まる

 

使ってみて現時点で最良最高なのはiPad mini

外部キーボードなど使わなくても両手の親指を使えば

あらゆる文書がはやく打ててしまうので

Wi-Fi環境のない戸外にも持って行ってメモ帖として使ってい

紙に書くメモよりもはやくメモが書けるし

iペンシルを使えば手書きもメモも書ける

自分の場合は手が大きいのでiPadでもほぼ同様に使えるが

やはりちょっと重いのでながくメモるのはつらい

両方持っているので家ではiPadを使うようにしているものの

iPad mimiだけで結局すべては済んでしまうので

ふつうのiPadの出番はどんどんなくなってきている

 

Appleに興味がなかったのにiPadを使うようになったのは

漢字変換が他の会社のタブレットが足元に及ばないほど優れていたからだ

本当は安めのタブレットを買おうと思って電気屋を冷やかした際

ついでにiPadを触って漢字変換をやってみて

難字や故事成語やちょっと珍しい言葉を変換させてみると

どれもするすると変換されて驚いた

他の会社のものではNECのどれかの機種がけっこうよかったが

iPadはそれを上まわるスムーズさと速さで変換してくれる

ハーウェイはまるでダメでレノボもダメだった

それら他の会社のものより3万円ほど高かったのだが

このスムーズな漢字変換に惚れ惚れしてiPadを衝動買いしたのだった

iPadの凄さはそれだけではなく

自分のようにフランス語を打ったりする者には恐るべき便利さがあ

フランス語モードをインストールさえしておけば

フランス語のアクサン記号なしで英語のように打った場合にも

決定キーを打てばその一文に勝手にあらゆるアクサン記号を付けてくれる

これがどんなに凄いことかはフランス語を使う人間なら痛感できるだろう

こんな機能がなにげなく平気で付いている機械が

せいぜい何万円かで買えてしまうことにこそ驚かねばならない

 

Oppoなんか見捨ててiPhoneを買っちゃえばいいのに

という考えも選択肢にはもちろんあるのだが

字の小さめなiPhoneよりもiPad好きな自分の場合には

日々使う機種どうしをあまり競合させたくないという気も出てきたりする

スマホ時代の面倒臭さはこんな小さな逡巡がごそごそ出てきて

これが頭のどこかに積み重なってきて

決定ばかりを迫られてくるのが厄介だというところにある

ポータブルのWi-FiiPadを持って外出すれば万事解決なのだが

戸外ではあまりWi-Fiなど使わずに本を読んでいるほうなので

ポータブルWi-Fiを契約する気にもいっこうなれないまま

たぶん8年ほどは過ぎていこうとしている

 

…あ、一度ポータブルWi-Fi出始めの頃に契約してみたことがあって

プロモーションということで月に560円ぐらいの安さで使ってみ

あれはあれでけっこう快適だった記憶はある

しかし2年間だけ使って契約期間を更新しなかったのは

まずWi-Fi器機を毎日充電しないといけない面倒臭さに参ったことと

いったん戸外に出てみると案外とWi-Fiなど使わないということと

2年以降は料金が一気に月数千円に跳ね上がることなどのためだっ

あの頃はiPodとガラケーとパソコンを持ち出していたが

それらのすべてを朝までに充電して

それに加えてWi-Fi器機の充電をするというのは大変で

机の上に四本ものケーブルがいつも伸びている風景が嫌になった

 

世の中の連中は便利な機械がまた出た!また出た!などと

右に左に流され続けていて

よくもまあそういうところには金を使うものだと思うが

ある程度歳を重ねてきた者から見るといつの時代にも見た光景であ

親がブルーバードにばかり乗っているのに

近所のオジサンはスカイラインに乗っていたり

お祖父ちゃんにはいつもクラウンの出迎えが会社から来ていたり

叔父のひとりはカローラだったりした子供時代の後には

カラーテレビの革新がどんどんと行われる時代が来て

「キドカラー」の飛行船がよく飛んでいた光景など

つい先週のことのように覚えている

ラジカセのニューモデルが次々と出て目を奪われたり

小型カメラの新作がどんどん出たり

そんなあれこれの製品の新作に興味がなくなった頃になって

突如ウォークマンなるものが出現してきたりした

ウォークマンは1979年発売だそうだが

出た早々はマスコミは煽っても巷ではずいぶんバカにされたし

だいたいイヤホンからしか音が聴けないなんて

競馬オヤジたちの聴く短波中継でもあるまいしと思った

自分がウォークマンを買ってみたのは1984年頃で

もうずいぶんと世間に広まって評価が定まってからだが

馬鹿にしながら二つのイヤホンから聴いてみて衝撃を受けた

スピーカーから聴いていたのより音楽が立体的に聞こえて

まったくの別世界がそこにはあった

いっしょに住んでいたエレ―ヌに聴かせてみたら

エレーヌは「凄いです!凄いです!」と本当に興奮して

それからしばらくというもの

あの曲を聴いたらどうだろう、この曲はどうだろう、というふうに

いろいろな曲をウォークマンで聴いてみる時期が続いた

もっとはやく買って試してみたらよかったようなものだが

あの当時は新しい製品というものに対して

これほど保守的でなかなか受け入れないのが普通ではなかったか

いったん受け入れると完全に生活の中に取り入れることになり

その後6台ほどのウォークマンを聴き潰していくことになり

またMDウォークマンもたしか3台ほど

CDウォークマンも4台ほど聴き潰していくことになった

外に出る時にはどこにいくにもウォークマンとカセット数枚を持ち

イヤホンやヘッドホンを持って出かけたものだったが

出先でヘッドホンが壊れたことがあって

もう居ても立っても居られずに近い電気屋でヘッドホンを買って

それから電車に乗って帰路についたこともあった

音楽を聴かずに電車に乗ったり駅構内や街路を歩いたりすることに

それほど耐えられない時代が14年ほど続いた

今でもよく覚えているが1999年頃のある日

突然もうウォークマンで音楽を聴くのは終えようと思いたち

以後は外出時には音楽機材を一切持たなくなった

家では聴くがそれ以降は外出時には一切聴かない

そういう突然の変化が人生では自分の精神に起こる

それまでは没入してやり尽くしたらいい

だがある時にふいに終わる

そうして二度と戻らなくなるのだ

 

外では二度と音楽を聴かなくなることになる直前

カセットに録音して何度も聴き直していたのは

フリードリヒ・ヴィルヘルム・シュヌアーの弾く

ベートーベンのピアノソナタ第28番と第29番だった

弾き手にとって難曲として有名な曲だが

シュヌアーの演奏はこれらの曲の楽しみへスムーズに導いてくれる

それまでバッハやヘンデルなどのバロックを

ウォークマンで聴くことが多かった自分には

ベートーベン後期のピアノソナタは新鮮だった

28番と第29番には新生の喜びとみずみずしさがある

仕事で湘南台から長くバスに揺られていくことがある時期だったが

春など途中で菜の花畑や空き地に放している山羊など見ながら

28番と第29番によって

心の中にふたたび泉を掘り起こし直していたように思う





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