時間を考えようとすると
人は平気で
「ある」「いる」を道具として使ってしまうから
けっきょく
いつも時間を取り逃がす
時間は「ある」や「いる」の網には絡まって来ずに
かろうじて
無時間の感覚になったときの
微妙な触感で触れうるかどうか
だから
意識が時間をとらえることは絶対にできないが
ここから次の時間が生まれて伸びていくというポイントを
ほんのちょっとのズレを許容したうえで
仮想してみることはできる
まるで
ビッグバンとやらが起こる直前の極少の点のような
おそろしく静かなものが
見えず
触れ得ないながら
あるのが
わかる
もちろん
こんな語り口ではそれを伝えられないので
セポンピピリン草を
おそろしいほど蒼黒い北海の深夜の海の上で
ソッと焚いてみてください
そうしたらわかるから
それですから
それですから
それですから
と
添えておく
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