2021年12月22日水曜日

ギュウギュウ犇めいていて

 

 


すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。

まわっているけど、前進しない。

寺山修司

 


 

寺山修司なんて知らない寺山修くんと

ちょっと

知りあったりしたので

ちょっと

話してみたら

寺山修くん

ひょんなことから

弟として生まれてくるはずだった子が

中絶されていたと知ったそうで

ちょっと

ショックで

以来

いつも弟がじぶんのかたわらにいるような

気になった

という

 

そうかあ

 

寺山修司も

ほんとにきみのような経験を

してたのかも

しれない

なあ

 

現実をすべてフィクションのネタにして

あえて嘘八百だけで

創作し続けようとした人だから

ほんとだったのかな

と人に思わせるところが

彼のねらいなんだけど

こんな歌

あるし

 

新しき仏壇買ひ行きしまま行方不明のおとうとと鳥

 

間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子

 

七草の地にすれすれに運ばれておとうと未遂の死児埋めらるる

 

死児埋めしままの田地を買ひて行く土地買人に 子無し

 

仏壇って

いろいろな場合があるとはいえ

ふつう

家に死者が出た時に新たに買うもの

 

仏壇を買いに行くというだけでも

死者の存在を思わせるし

死を思わせる

 

しかも

買いに行ったのは「おとうと」

しかも

買いに行ったまま

行方不明

 

わけのわからないところが残るまま

不気味さと不吉さがこちらにグッと来るけど

「おとうと」を使った他の歌をいっしょに読んでみると

もう少し分かってくる

「おとうと」が

じつは

じぶん自身の仏壇を買いに行ったのらしいと

 

「間引かれし」というのは

中絶されてしまったか

生まれてすぐに殺されてしまったか

 

むかし

食糧の足りない農村では

赤ん坊が生まれても

人口が増えないように

口減らしで

すぐに殺してしまうことが普通にあった

赤ん坊の口や鼻に濡れた布をかけて窒息させたり

首を絞めて殺したり

生きたまま便所の肥溜めに投げ捨ててしまったり

肥溜め汲みの人が

赤ん坊の死骸を見つけることも少なくなかった

って

聞いたことがある

 

「おとうと」は

生まれなかったのだから

たしかに「一生」学校を「欠席する」ことになる

 

でも

生まれて学校に行っても

それはそれ

「おとうと」には苦しい場所だったかもしれないことが

「学校地獄」という言い方でわかるような

生まれても

生まれなくても

「おとうと」は幸せではなかったような

 

三首目でも

「おとうと」は死んでしまっている

「おとうと未遂」って

「おとうと」にならなかったということ

やっぱり

生まれると同時に死んだか

生まれる前に死んだか

 

「七草の地」というのは

正月が終わって七草粥にする春の七草を摘む田野のことかな

そういう田畑に間近い土地に

「おとうと」になるべきだった赤ん坊の死体は

埋められたのかな

田畑のまわりの土地のあちこちに

「行方不明のおとうと」や

「おとうと未遂の死児」たちが埋められていると

むかしの農家の人たちには

見えたのかな

 

昭和初期から戦争の時期までの

地方の貧困と食糧欠乏には酷いものがあって

そこに世界的な大不況が襲ってきて

さらに過酷なものになったらしい

そうした経済的な問題が堆積して

戦争へと雪崩れていく他なかった日本の近代が

あった

社会科の要点整理みたいなまとめ方はしないけれど

食い物

しがらみ

家族

などなどが

結局

人々を駆り立てるんだよね

他人の命を奪い

他人を食い物にし

他人を蹴落とす方向に

 

四首目の歌も同じこと

「死児」というのは

単に幼くして死んだ子というわけではなく

やっぱり

「行方不明のおとうと」や

「おとうと未遂の死児」だろうね

そうした「死児」が埋められた土地を

貧しい農民から買い取って転売していく人も

「子無し」となっていて

どこまでいっても希望がない

未来がない

 

旧日本軍の兵士は

こうした地方から多く駆り出され

激戦地に向かわされたから

明治以降の近代になってもこうした東北の地は

いっそう苦しく

重い運命を背負わされた

「行方不明のおとうと」や「おとうと未遂の死児」は

もし生きのびていれば

兵士にされて戦地に連れて行かれたか

貧しい農民として苦しい生活を一生続けていくだけだったはず

 

『田園に死す』で寺山修司が踏み込んだ世界は

世間一般に娯楽として受け入れられやすい

楽しい

綺麗な

鮮やかな

短歌の世界とは全く違うもの

寺山修司が生まれ育った青森は

もともとの貧しさ

食糧欠乏などを強いられていた上に

その土地の因習や

はるかに昔の江戸時代などからの暗い歴史もあって

歴史の重圧がギュウギュウ犇めいていて

言語やイメージを用いてのフィクションによる解決や救済の他には

もうどうしようもないほどの状態だったのを

よく感じていたんじゃないかな

寺山修司は

 

寺山修くん?

 

そうそう

『田園に死す』といえば

映画のほう

YouTubeにアップされてて

見ることはできる

できることはできる

んだけど

年齢確認されないと見れないんだぜ

未成年はダメ

現代では禁止されるべき表現だっていう

決めつけ

 

大学生に勧めたことがある

そしたら

現代では許されないシーンがいっぱいで

ちょっと

どうかな?

って思いました

なんて

何人もから

言われた

 

そういう時代に

なっちゃってんだね

 

そういう時代に

したのは

だれ?





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