世の中であまり意味も意義もないと言われるような
文芸趣味の界隈でも
若い頃ならまだ
翻訳だとか
研究だとか
ちょっとは意義もあるのではないか
と思ったりもしていたが
ことばの味わいや微妙な差にこだわる神経が
歳とともに昂じると
まず翻訳は読まなくなるし
じぶんで訳してみても気にくわないところばかりになるし
どんな人のどんな研究も
せっかくの人生時間を潰しての御作業
大層ありがたいとは思うが
じぶんの興味に関わりの薄い研究書をしかたなく読んでみたり
あちこちめくって見たからといって
だから結局なんだ?
という
冷笑的なことばが内心に浮かんでしまうのが嫌になって
だんだんと遠ざかってしまう
副詞を置く位置や
形容詞の選びようや
句読点の置きようというのは
書きことばの味覚を左右するというより
味覚そのものなので
本の最初のページを見はじめて
好き嫌いの差別がすぐに来る
どんなに翻訳しづらい名著だろうが
訳者の書きことばが美味しくないものは読めない
書きことばが美味しいか
まずいか
読み手それぞれに感じるところだろうが
そこはもう理屈ではなく
倫理でもなく
感性の問題だけになるので
まずいものはまずい
としか
ならない
まずい言葉ならべとのつき合いは
もう
そこで終わってしまう
言葉ならべ
というと
たんなる単語選びや配列の問題に聞こえるが
それは
感性や精神や信念や
魂から染み出る波動によってなされるので
趣味や
好き好きのレベルなど
もちろん
超えている
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