2021年12月19日日曜日

温かくさえ感じられる


 

 

Mais non, mon ami, il n’y avait pas moyen, tu le sais,

de nous voir davantage et de convenir de tout ceci de vive voix.

André Gide    ISABELLE

 

 


 

夜の食事が終わってから

mRNAワクチンの偽りを告発する多くのtwitterをコピー

自分用の資料として保存するべく編集していた

 

ステレオでショパンが掛かっていた

ポリーニの1999年録音で

バラードを主に収録している

 

遠い部屋まで聞こえるような音量で掛かっている

スピーカーは私から2メートルほどのところにある

 

バラード第4番が響いている間

「本当にショパンは嫌だ・・・」と思えてならなかった

そんなことは滅多にない

クラシックは好きだし嫌いな曲は殆どないが

嫌いだとすれば聴きたくない時のショパンほど嫌いなものはない・・・」

としきりに思えて

ちょっと我慢ならなくなるほどだった

 

しかし

ショパンだからとて「聴きたくない時」というのは殆どない

 

昨日もポリーニのショパン「幻想曲」を聴いて

ひさしぶりに聴いたが

非常にすばらしいと感じた

ポリーニの演奏はだいたい辛口で乾き加減の音を連ねていくが

ショパンのような曲にはそれがかえって良かったりする

 

もっとも

世田谷の代田に住んでいた頃

下北沢駅まで二十分ほど歩いて行くのが普通だった頃

桜の木々の立ち並ぶ緑道を行きながらポリーニの演奏する

ショパンの練習曲集や前奏曲集をウォークマンでよく聴いていた時には

ちょっと面白くないと思った

しかしクラシック演奏を少しでも多く聴くのを自分に課していたの

我慢して何度か聴き直した

カセットテープのウォークマンの時代だった

 

劇的な別れ方をした人のひとりはピアニストで

とりわけショパン弾きだった

ピアニストという呼び方は間違っている

ピアニストになろうとして挫折した若い人だった

バラードの第1番から第4番まで仕上げられていくのを

何年もかけて私は聴き続けた

いろいろなパートの練習をくり返して一曲を自分なりに仕上げていくのに

私は何年もつきあい続けて聴き続けたが

名手の演奏よりよほど艶があってよい演奏をする時があった

世界の誰も知らないが

そういう演奏をその人がすることがあったのを

私だけは覚えている

 

その人はしかし第4番はうまく自分のものにできなかった

演奏会の時に最初のところで躓いて止まってしまった

どうなることかと思ったが

すぐに落ち着きを取り戻して引き直し

後は最後まで順調に弾き終えた

 

夜の食事が終わる前

私は昨日までにまとめ終えた寺山修司の『田園に死す』の短歌

数十首の読解を編集し終え

あの寺山ながら不快な雰囲気の

しかし歴史的意義もあれば意味も豊かな短歌群の波動を受けとめたまま

このところ急に寒くなってきた空気の中で手の甲を少し冷たく感じながら

疲れを覚えていた

『田園に死す』の後の未刊歌集『テーブルの上の荒野』ともなると

寺山の短歌は想像力の枯渇を露骨に示し

発想のモード切り替えにも冴えがなくなって

ずいぶんひどいものになってしまうが

それらを眺めるのにも荒涼たるものがあった

 

私はいくつかの彼の短歌に対して

模倣小僧と呼ばれた寺山修司が他人の作品に対してよく行ったよう

本歌取りをすることで

こちらの気分を調整してみたりした

 

 

寺山修司本歌

独身のままで老いたる叔父のため夜毎テレビの死霊は(きた)

 

酔いどれし叔父が帽子にかざりしは葬儀の花輪の中の一輪

 

たった一人の長距離ランナー過ぎしのみ雨の土曜日何事もなし

 

亡き父の靴のサイズを知る男ある日訪ねて来しは 悪夢

 

洗面器に嘔吐せしもの捨てに来しわれの心の中の逃亡

 

 

本歌取り

独身のままに老いたる叔父のために夜毎テレビはテレビを演ず

 

酔いどれし叔父が帽子にかざりしは葬儀の花輪の一輪ならず

 

たった一人の長距離ランナーさえ見えずあたたかきかも土曜日の雨

 

亡き父の靴のサイズに興味なき息子のキラキラネームは「悪夢」

 

洗面器に嘔吐せしもの捨てに行く歌など作るな寺山修司

 

 

寺山修司の『田園に死す』の解説は

現代の大学生に向けたものだが

寺山ならば普通は初期の短歌だけを見せておけば

人は喜ぶ

ポジティヴなイメージとネガティヴな要素とがミックスされた

サッと読んだかぎりでは気持ちのいい印象が浮かぶ『空と本』時代の歌は

表面だけの味わいだけで足れりとする読者たちには

これからも長いこと好まれていくに違いない

しかしポジティヴ面を切り捨てて暗さと希望のなさと不毛の表現へ進む

『地と麦』『田園に死す』などの寺山修司の歌は

それほどは読まれないままに

図書館にあるだけの資料になっていくだろう

思えば柿本人麻呂も大伴家持もそのように遇してきた日本人なのだから

寺山修司ごときもそれを不服とするのは烏滸がましい

とは言えるのだろうが・・・

 

一週間かけて詳細に読解した小津安二郎の喜劇『お早よう』も

世間での挨拶言葉の無意味さと機能性や

噂や陰口に満ちた「ご近所」「世間」の絶望的な泥沼さや

戦後の小津の他の映画とは違う

会社の取締役や重役でなどない初老の父たちの苦労を扱って

なかなか説明には巧みさの必要とされる映画で

小津調を求めるファンにはあまり評価されないながら

じつはもっとも挑発的な最高作品かもしれず・・・

 

昨日の夜も確かに急に寒くなりはじめ

北海道や東北では大雪のところも出てきたそうで

冬らしいせつない夜々がこれから続いたりするようになるのだろうかと

むかし子供の頃に感じた冬の

心細さやさびしさをふと思い出しながら

それにしても

嫌いだとすれば聴きたくない時のショパンほど嫌いなものはない・・・」

としきりに思えて

不思議だ

と思う

そんなこと

思ったこともなかったのに

 

・・・外出した時に

電車の中などだけでゆっくり読んでいるアンドレ・ジッドの

『イザベル』では

ガリマールのブランシュ版の82ページになって

ようやくIsabelleという名が出てくる

焦らず

変に急いで盛り上げようとせずに

じわじわと進めていく小説で

今どき珍しくなった古い小説のそんな手法が

温かくさえ感じられる






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