2022年1月4日火曜日

あの死亡通知状というのは

 

 

葉書で来る訃報は

死亡通知状とか

死亡通知挨拶状とか呼ぶらしいが

ずいぶんと味気ない呼び方をするものだ

と思う

 

2021年には

それが

いっぱい来た

 

とはいえ

個人的なつきあいのある

じかに知っていた人の訃報は

といえば

たったひとつだけ

 

それ以外は

しりあいたちの老親のもので

つまり

会ったこともなければ

会う予定もなく

会う可能性も

まず

なかったはずの

存在さえ

思ってみたこともない

そういう人たちの

訃報

 

そういう訃報というのは

受け取る側にとって

意味はといえば

たったひとつしかなくて

年賀状ハ送ッテ来ナイデクダサイ

というだけのこと

 

本当なら

ゴ愁傷様デス

サゾオ悲シミデショウ云々

と書き送るべきところだろうが

まったくの未知の人の死であるうえ

そもそも

しりあいといっても

一年にたった一度

年賀状のやりとりをする程度の人の

老親のことでもあって

ゴ愁傷様ハガキなんぞを送るのも

なんとなく仰々しくて

出さないことにしてしまう

 

こう考えてみると

あの死亡通知状というのは

いったい

なんなんだろう

と思えてくる

 

故人とつきあいのあった人に送るのは

至極

要を得ていると言えようが

故人とつきあいのまったくなかった人へは

むしろ送らないでおくほうが

正しい配慮ではないのか

 

べつに

死亡通知状を

ことさらに批難しようというのではないが

家族の誰かが死ねば

年賀状を送っている相手みなに

あれを送らないといけない

と考えるのも

内実の伴わない

というか

然るべき機能に反した

誤った考え方に陥ってしまっている

と思えてならない

だけ

のこと

 

故人に会ったこともなければ

つきあいもなく

将来会う可能性もなかったはずの人たちには

例年どおり

ふつうに年賀状を送っておいたほうが

自分に流れ込んでくる人生線を

複数化でき

複層化できて

よほどいいだろうに

と思える





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