2022年1月8日土曜日

ずるずるずるずる


 

大島渚の古い映画は

以前からネットでもけっこう見られるようになっていたが

このところ

Amazon primeでもふつうに見られるようになってきたので

新年そうそう『東京戦争戦後秘話』(1970)など見ていたら

学生のひとりのセリフにこんなのが出てきた

 

「吉本も言ってたけどさ、封建的なものとモダニズムが錯綜している日本の土壌に足をすくわれて、幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズムの泥沼に、ずるずるずるずる、のめり込んでいくしかないんだなあ・・・」

 

吉本隆明もうまく言うなァ

ちょっと感心

 

もちろん

「封建的なものとモダニズムが錯綜している日本の土壌」というのは

うまく言っているようで

そうとう問題アリだが

(「封建的なもの」とレッテル付けせずに、別の枠を探したほうがいいし、だいたい、「日本」だけの問題でなく欧米でも大問題だったのが、もう露呈している・・・ 「封建的」というレッテルが、どれだけ真の問題を隠蔽してきてしまったか、ふつうに歴史学や社会批判に寄り添っていれば、今では誰でもわかる・・・)

 

それでも

「幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズムの泥沼に、ずるずるずるずる・・・」

というのは

みごと

言い得て妙だと感じる

 

令和とかいう不吉な年号の今

(不吉さがどれほどのものだったか、もう良い子の諸君はおわかりだろう・・・)

まわりで「文化」「カルチャー」を言い募る連中のやりようを見ていると

どれもこれもが

「幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズム」を

さも素晴らしいものであるかのように

誇張し

増幅し

バーコード付けし

まるでオミクロンのように極端なまでに弱毒化して

とにかく客のさびしさや口さびしさをつかのま穴埋めするためだけ

大量出荷し

・・・である

なにを見ても聴いても「鑑賞」させられても

アーチストとか作家とかなんとか自称して悦に入っているおまえら

「幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズム」なんて

オレにはどーでもいいんだよ

オレの「幼年期から少年期の体験」の凄さのほうが

おまえらのチマチマした「体験」よりはるかに凄い

オレの自己体験についての「つまらな」さ自覚も強烈だし

オレの「つまらない」自己体験への「フェティシズム」もさらに強烈だし

表面だけ社会の良い子良い人に見せて

その実極限まで非社会として生きてきたオレのピカレスクのほうが

云々

云々

云々

 

「文化」屋や「カルチャー」屋を言い募る連中の

商売の手法は

戦後の高度経済成長時と

基本

かわらない

それがもっとキレイキレイに

さっぱりと

スムーズになっただけのこと

Amazon化した高度経済成長期

というだけのこと

 

ちなみに

ちなみに

ちなみに

血波に

大島渚のモノクロ時代の映画が

いかに

つまらないか

くだらないか

60年代や70年代のノリからあまりに遠く離れて

ひとつひとつのんびり見ていると

本当によくわかる

いくらなんでも

どこまでセリフが生硬で

役者が下手で

大学の映像研究会レベルか

見てられないやネ

と思う

 

しかし

ワタクシは

大島渚の映画が大好きなのである

60年代や70年代の東京を

じつによく切り取っていて

映像に収めていて

資料的価値絶大!などと称揚しなくっても

ただそれだけで

面白い

街に出て本当にちゃんと撮ったのは

寺山修司ではなくて大島渚だったと思う

できれば

大島渚作品からよけいなフィクションや演技をぜんぶ削除して

東京実写風景のみを繋いで

新たな編集作品をだれか作ってくれたらなァ

と思う

 

あらゆる作品なるものからは

作者や関係者の手つきがぜんぶ消滅してくれるほうが

うるわしい

創作者の影など邪魔でしかない

創作者の網膜に映ったものだけで十分だ

創作者がコントロールできなかったものだけが貴重なのである






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