2022年1月28日金曜日

気息、風、魂を意味するルーアハruahに寄りつつ

 

 

呼吸の

とりわけ“息”が

他人に及ばぬように

との異様な

簒奪者の命令じみたものが巷の空気の中に

毛細血管のように蔓延るよう

画策された時期を

ギリシア語のpneuma

ラテン語のsupiritusに通じさせながら

ヘブライ語の

気息、風、魂を意味するルーアハruahに寄りつつ

レヴィナスが展開した呼吸論

気息論に

わたしは思いを馳せていた

 

“他人”によって

“わたし”の中に“息”が吹き込まれ

“わたし”のほうは

“息”を吐き出すことによって

“他人”にみずからを開き

与えるのが

“呼吸”だというのを踏まえて

レヴィナスは言う

 

「ありうる限り

もっとも長い息、それが精神(esprit)である

人間とは中断することなく息を吸い込み

永遠に息を吐き出しうる

もっとも息の長い生き物ではないのか」*

 

彼によれば

人間は

“息”が切れるほどに吸い込み

結集ではなく

みずからを消耗(consumation)させ

憔悴(consumation)させ

燃え尽き(consumation)させ

老衰(consumation)させ

蕩尽(consumation)させ

滅ぼし(consumation)

核分裂しながら

“存在”の

彼方を

語ろうとする・・・・・・

 

『旧約聖書』では

人間の生命原理そのものでもある

ルーアハruahへの

明白な侮蔑

レヴィナスの呼吸論や気息論への

傲岸不遜な毀損行為は

そのまま

“存在”の

彼方

からの人間の切り離しの企みであると

感じられていた

 

 

 



 

*エマニュエル・レヴィナス『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』(合田正人訳)

Emmanuel Levinas  Autrement qu'être ou au-delà de l'essence 1974.






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