ウクライナという語が
単語界ではずいぶん飛び交っているが
4世紀後半だったか
ローマ帝国に生まれて暮らしていた頃
やはりウクライナの話で
がたがたとうるさいことがあった
中央アジアの草原にいたフン族の連中が
ウクライナに侵入してきたのだ
これが大騒ぎのもととなって
それまでウクライナに住んでいた
ゲルマン人の東ゴート族が西に移動しはじめ
ほかのゲルマン諸民族も
どんどんと東から西へ大移動をはじめた
もともと北のスカンディナヴィアから
バルト海周辺に住んでいたゲルマン人は
すでに中部ヨーロッパに南下して
ケルト人を移動させたことがあったが
3世紀からはわがローマ帝国にも
どんどんと侵入をはじめていたものだ
ゲルマン人どもは略奪や殺戮も起こしたが
ローマ人の管理下で農耕や軍役につけば
わがローマ帝国は入植を許すようになったし
部族の長をともなって一団となって
移住してきて帝国内に土地をもらって
同盟軍として駐屯することも多くなった
こうした駐屯軍があまりに多くなり過ぎて
わがローマ帝国は宗主権だけの存在となり
まぁブランド名だけが残る一方で内実は
かつてのローマ人ならぬゲルマン人が
支えているというふうになっていって
ついに476年にゲルマン人オドアケルによる
皇帝の追放ということが起こったものだった
わがローマ帝国に永遠の名誉あれ!
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