経験のある要素を犠牲にしてまで別の要素を救おうとはしないこと
マイケル・オークショット 『リヴァイアサン序説』*
ホッブスの人生って奇跡みたいだよね
ほとんどの人がそれを知らないものだから
世にはホッブス主義者がこんなに少ないんだね
とウィリアム君と話しながら
ぼくらはストラトフォード・アポン・エイヴォンを散策した
ラテン語やギリシア語に秀でていた彼は
オックスフォードで五年間を古典研究に費やし
その後は貴族の家庭教師や秘書として暮らし
ベーコンやジョンソンなどを含む文人たちや
指導的な政治家たちと知り合っていった
仕事でフランスやイタリアで暮しもして
学者になる決意をかためて帰国すると
チャッツワースで18年間勉強三昧になる
トゥキディデスの英訳をしたほかは
この時期は完全に沈黙していたといえる
その後も貴族の家庭教師をしながら
二度三度と大陸暮らしを重ね
数学と幾何学の重要性と面白さを発見し
フィレンツェではガリレオに会っているし
パリではガッサンディに会っている
いったんイギリスに帰って『法の原理』を書き
しかしその後10年間は出版せずに
またパリに戻って自然哲学論を執筆し
かたわら政治哲学論『市民論』を書き上げたが
当時のパリには皇太子チャールズが亡命していたので
またまた家庭教師を頼まれることになってしまう
気の乗らない仕事で時間をとられることになったが
それでもとうとう1651年には
傑作『リヴァイアサン』の出版にこぎつけた
イギリスに戻ってから『物体論』や『人間論』を出したが
まだまだその後20年も文芸活動と論争に明け暮れ
王政復古の後には宮廷に迎えられてロンドンで暮し
1675年には死の近いのを感じてチャッツワースに隠遁し
ついに1679年には死ぬことになったが
それがなんと91歳なんだからね
17世紀だというのにまったくすごいことじゃないか
ストラトフォード・アポン・エイヴォンを散策しながら
話題がシェイクスピアのことではなくて
ホッブスのことばかりになったのも面白かったが
ゆったりと勉強をし続けて中年を過ぎてから
稀代の哲学者として出現したホッブスの生き方が
やっぱりぼくらには奇跡と思われて楽しかった
ホッブスのことを主にしゃべってくれたのは
もちろんホッブス好きのウィリアム君だが
こんなおしゃべりの後でぼくらは店に入り
ティーとスコーンのおやつの時間とした
年齢的にはおばさんなのにかわいい服装で
頭にもリボンなんか巻いている女性が
ずいぶんていねいにお茶を注いでくれた
この後ヨークや他の街にも行こうよと誘ったが
ウィリアム君はアクトンに行かないといけなくて
泊まっていたスワンズ・ネスト・ホテルまで戻ると
ウィリアム君の荷造りをササッとやったあと
ぼくらは夕方にホテル前で別れることにした
なんでまたアクトンなんかへ?と聞くと
オークショット先生ももう歳だからね
ほしい本をくれると言ってもくれているし
とウィリアム君は言い残して
到着したタクシーに乗り込んだ
もちろん他のこともしゃべったかもしれない
[ウ]じゃあまた来週にでもロンドンで会おうかとか
[ウ]それとも来週じゃまだ君は田舎めぐりかな
[ぼく]どうかな、でもいったんロンドンに戻るかも
などといったことなんかも
もちろん
0 件のコメント:
コメントを投稿