私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、
勝つものはないと云う事なのです。
芥川龍之介 『神神の微笑』
ことばを使おうとすると
すぐに文芸だの
文学だのと言われ
それらに言い寄られ
それらでないといけないと同調圧力をかけられ
それも
それらが面白ければいいのだが
百にひとつぐらいしか面白いものがないのに
それらにどっぷり浸かってきた年長者が偉がっているので
いやあな気持ちになる
こんなのが
昭和や平成の文芸や文学だったように
ぼくは思っている
偉がってきた年長者連中が
そろそろ
大きく潮が引くように消え失せ
消え失せてみると
やはり大した連中ではなかったのがわかってきて
せいせいしてくるものの
結局
タニザキカワバタミシマ以降は
日本語にはだれも
今後も残り続けるようなものはなかったと思うと
壮絶にさびしいとは
やはり感じる
波動が宇宙の果てまでひろがり続けるようなかたちで
残っていく
ことばの作物は
ほんとうに
ほとんどない
それらに価値があったとか
なかったとか
そういう基準ではなしに
後に続くまったく異なった感性や考えの者たちが
引き継ぐ気になれる美学が込められていたかどうか
なのだろうと思うが
結局
戦後派は消滅し
第三の新人はほぼ消え
内向の世代も溶解し
もうだれも古井由吉など読もうとしなくなるだろう
他の内向の世代は先に滅んでしまっている
あれは団塊の世代が必死に持ち上げて
じぶんたちの食い込み先を確保しようとした御神輿だったが
団塊の世代もこの数年で社会のあちこちから消え
後続の者たちはもうだれも思い出そうともしないので
まるごと消えていこうとしている
無人化していくばかりの砂浜に残っているのは
ソウセキオウガイリュウノスケの後では
タニザキカワバタミシマだけ
20代の頃にぼくの見抜いていた通りだ
日本文学はこわいよ
しっかり日本古典に通じた文芸以外はけっして残らない国で
いっときの十年や二十年の賑わいは
作者やファンの消滅とともに永遠に消え去っていく
萬葉から古今新古今能狂言歌舞伎にべったりと繋がったものだけが
五十年もすれば残りはじめる国
ぼくはそう言い続けてきたが
これからやはりそのようになっていく
とくに団塊の世代とともにひと頃賑わったものは
ブラックホールにどんどん吸われていって
もうどこの本屋にも本が残らなくなっていく
日本文学はこわいよ
ほんとうに
こわい
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