2022年4月14日木曜日

旅の愁いに取り憑かれ

 

 

27歳で夭逝したというのに

李賀の精神の

この老いっぷりときたら

どうだろう

みごとな老詩ではないか

 

「崇義里にて雨に滞る」を

黒川洋一訳で

 

心はしんに寂しいぞ なんという男か

やってきて長安の秋を悲しんでいる

壮年にして旅の愁いに取り憑かれ

夢を見ては泣くうちに白髪頭となってしまった

痩せ馬に腐った秣をやっていると

雨の飛沫が寒々とした溝に飛び散る

役所街には古ぼけた簾が薄暗く垂れ下がっており

じめじめした光のなかを時刻を報らせる音が響いてくる

故里の山々は遙かに距たり

天の東に雲は重たく垂れ下がっている

剣の箱を枕として憂鬱な眠りに落ちては

仮住居の帳のうちに栄達の夢をみる

 

これが9世紀の

唐代中期の詩だというのだから

驚かされる

李賀の後

いわば都会派のセンスのある詩が

進歩したとは

どうにも思えない

 

原文で見れば

この通り

 

崇義里滞雨           

  落漠誰家子     落漠たり 誰が家の子ぞ
  来感長安秋     来たり感ず  長安の秋
  壮年抱羇恨     壮年  羇恨を抱き
  夢泣生白頭     夢に泣いて 白頭を生ず
  痩馬秣敗草     痩馬は 敗草を秣とし
  雨沫飄寒溝     雨沫  寒溝に飄る
  南宮古簾暗     南宮 古簾)暗く
  湿景伝籤籌     湿景 籤籌を伝う
  家山遠千里     家山 遠きこと千里
  雲脚天東頭     雲脚  天の東頭
  憂眠枕剣匣     憂眠  剣匣を枕とし
  客帳夢封侯     客帳  封侯を夢む

蒐集して

馴染んでおきたい言葉が

いくつもある

 

雨のあいまに洩れてくる陽のひかりを表わす

湿景

もいいし

故里の山々を表わすに

家山

と呼ぶのもいい

 

憂眠

など

どうだ

憂鬱な眠りを表わすのに

現代の日本語の中に生きていては

とても

すぐには

思いつけない

 

 

 

*『李賀詩選』(黒川洋一編、岩波文庫、1993)

 

 




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