気温が上がって
青く晴れあがった日
くっきりした雲がわいて
ああ、夏雲・・・
と思った
青い空に
夏雲がくっきり出ているだけで
恵まれている
と思う
しあわせだ
と思う
たったこれだけのことが
なかなか
見られなかったりする
見られても
ああ、夏雲・・・
と思えなかったりする
恵まれているとか
しあわせだとか
思えなかったりする
数えきれないほど見てきた
こんな夏雲の
あれやこれやのすべてに
いま見える夏雲は
密につながっている
そう思うと
じぶんが何歳であってもいい
幼い初夏の日にあるのか
だれかを好きになってきた
学生時代のはつ夏にあるのか
もう明日にも死にそうな
衰弱した老体の目で見ているのか
そんなことはどうでもいい
どれもみな繋がっていて
なにもかもすべては
これから始まろうとしている
卓越した
あの文芸評論家
ミハイル・バフチンが
ドストエフスキー論の中で
述べたように
「世界にはいまだかつて
なにひとつ決定的なことは起こっていない
世界についての
世界の最後の言葉は
まだ
語られていないし
世界は開かれたままであり
自由であり
いっさいはこれからであり
永遠にこれからであろう」
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