2022年5月18日水曜日

時空と変容の拠点である自然そのもの

 


起きて活動して

それから

眠る

というパターンで

人はだいたい「生きている」

 

眠っている間に

体内のメンテナンスをし

血中や細胞内に溜まった毒素を

分解・排出する

 

しかし

考え直してみれば

起きていても

眠っていても

肉体の基本動作に変わりはない

眠っていても

心臓をはじめ基本的な臓器の活動は続く

肉体を動かす脳の部分も活動を続ける

それら継続する活動からも毒素は出続けるはずで

眠りは

それらの活動に対する休息には

なっていない

逆に

そのような休息で

体内毒素の処理ができるなら

目覚めたまま活動し続けていても

毒素処理は可能なはずでもある

 

ここで思いつくのは

発生する毒素量に注目すべき

という見方の有効性と

睡眠時に本当に停止するなにかこそが

肉体にとっての最大の毒素を発生させる

という見方の有効性だろう

 

睡眠時にも臓器は活動し続けていても

肉体を動かす筋肉はほぼ停止する

それらの筋肉やそれを動かす神経系や

脳細胞から最大の毒素が出る

という仮説は考えてもよいかもしれない

 

また睡眠時に停止する最大のものは

なんといっても通常の「意識」の動きなので

「意識」こそが肉体を損なう最大の

毒素発生装置と考えてもよいかもしれない

 

ほんの数時間でも眠ると

肉体は目覚めた後の次の活動に向けて

準備のできた状態になるが

そうした眠りのさなか

肉体にいったいなにが起こっているのか

 

いまだに

解決しないこの問題を抱えて

起きている実験

起きていて肉体を動かす実験

起きていてなるべく肉体を動かさない実験

眠る実験

横たわっても眠らない実験

などなどをくり返し続けている

 

人間存在において真に価値ある問題は

社会や人間関係の中にはない

俳句はそれらを「人事」と呼び

一括りにして

俳諧味抽出の一領域とするが

逆にいえばその程度のものでしかない

真に考究すべき価値ある問題は

意識と肉体の自在な操縦可能性にしか

存在しようがないし

それ以外の形而上学的問題も

すべてはここを通過するしかない

 

実験を意識的に開始したのは

中学生の頃だった

まったく眠らない肉体と意識を磨きだそうと

非常な無理を続けた

その頃支えになったのは

真言密教系のさまざまな考え方だが

ふり返ればいい加減な読み方をしていた

たびたび書物類はふり返ったが

いまだに効果的に読めてはいない

レジュメでしかない空海の著作から

そのまま精神の変容を導くような企ては

読んでみればわかる通り

容易でもないし

そもそもふさわしい著作使用法ではない

空海の真のテキストは

時空と

変容の拠点である自然そのもの

である

 





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