2022年5月15日日曜日

ぼくの溢れかえるイマジネーションの運河・・・


 

Tempus tantum nostrum est.

Lucius Annaeus Seneca

 

 


 

サスペンスや推理小説を書く作家なのに

ギヨーム・ミュソは

けっこうブッキッシュな引用や銘句を多用する人で

文学や思想の古典を相当読んでいるがわかる

世界の四十カ国語以上に訳されている売れっ子作家だが

文学好きや思想好きなら

ちょっとくすぐられるような箇所が多い

 

ぼくは6歳の頃から、頭のなかでお話をつくって自分自身に語っていた。青年時代からは、書くということが、自分の存在の中心を占めるようになり、ぼくの溢れかえるイマジネーションの運河のようになった。フィクションを書くことは、ひとつの逃げ道であり、逃げ口上だった。日常生活の陰鬱さから逃れるための、もっとも安価な飛行機チケットが、創作だ。何年ものあいだ、それはぼくの全時間を占め、全思考を占めた。メモ帳やモバイルパソコンに縛りつけられたようになって、いつでも、どこでも、ぼくは書き続けた。街のベンチでも、カフェの座席でも、メトロのなかで立ったままでも。そして、書いていない時には、ぼくのフィクションのなかの人物たちについて考えた。彼らの悩みや、彼らの愛について。それ以外のことは、なにひとつ大事ではなかった。世界のつまらなさなど、ぼくにはほとんど影響してこなかった。現実からはいつもずれたり、遅れたりしながら、ぼくは、自分自身が創造神である想像の世界を動きまわっていた。*

 

ちょっと長い距離を

JRの列車に揺られながら

この記述に逢着して

なんだか

けっこうおもしろいサスペンス作家だな

と感心してしまった

電車での

おもしろくもない環境のなかでの

移動のさなか

ミステリーのなかで

ふいにこんな一節に出会うと

ちょっと

特別の時間に恵まれたような気になるものだ

 

なにかというと

カミュだのフロベールだのプルーストだのと言う人が

もしギヨーム・ミュソを読んでいないとしたら

じつは大した読書家ではないとわかる

 

外国語の本読みをする人は

古典も現代のミステリーも甘い恋愛物も読まないと

その外国語の射程に狂いが生じる

となると

死ぬまでのあいだ

無限に新刊本を買い続けて

めくり続けるという作業に追われ続けることにもなる

カミュだのフロベールだのプルーストだのに安住しているわけには

まったくいかないことになる

 

ギヨーム・ミュソのこの本の

ほかのページを

ぱらぱら見ていたら

セネカの引用が見つかった

 

時間だけがわれらに属する。

 

なかなか

やるじゃん・・・

窓外を過ぎていく風景を見

本に目を戻して

セネカのラテン語を

見直す

 

Tempus tantum nostrum est.

 

 

 


 

*Guillaume Musso La Fille de Brooklyn (XO éditions, 2016)

 

 

 





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