Il y a peut-être une aventure
entre le « pas écrire » et le « pas être ».
Roland Barthes, Colloque de Cerisy, 1977
この世に思い残すことはない
という言い方が
ときどき粗雑に口にされたりもするが
自分という意識にとっての将来がこの世でないところへと
伸びていくと
だんだんと感じることが多くなってくれば
思いは
この世でないところへと伸びる
伸びる
といっても
そう感じるだけのことで
ずいぶん曖昧な印象に過ぎないとも
もちろん言える
この世でないところへ
と
とりあえず表現してみても
この世さえ
把握用フレームの選び方によりけりで
どんな印象も得られるのだから
この世でないところとなれば
正確な手ざわりさえない把握用フレームを
なんとなく取捨選択して
漠然の上にも漠然としたイメージを思ってみるだけのことで
すこしでも正確な認識を得たい
そうした認識にもとづいて感情も形成したいとなれば
この世でないところ
という
思念遊戯は
やはり適当なところで捨てたほうがよかろう
と思うことになる
そこで
ときどき
この世でないところ
も
ついでに
この世
も
ないのではないか
少なくとも
自分と自認したがり自称したがるこの意識は
その双方とも
道具としてしかるべく使えるほどには
知っていないのではないか
ひょっとしたら
ただの言葉の綾に
長い歳月
乗せられてきただけのことだったのではないか
と思い到る
日本を縦断して
来る
来る
とマスコミが騒いでいた若い夏の台風も
どこかで崩れ果て
それなら
少なくとも
湿気と気圧の変動と大雨だけが寄せてくるだろう
とマスコミが修正した情報さえも崩れて
ときどき小雨を降らす曇天が暁にこの都市には寄せてきたが
しかし
しかし
この湿気や
この雲の垂れ込めなどは
否定しようのない真実ではないか
などとさえ
わたしは
思うことができないでいる
目に見えるもの
肌に感じるもの
聞こえるもの
鼻に届くにおい
それらさえ
まずは信じないというところから
わたしは学問とのつきあいを律儀にはじめてきたのだし
人類は遅く見ても16世紀頃からは思考を鍛えはじめてきたではな
人類みな
この愚行の21世紀に
あれやこれの盲信や
宗教の絢爛豪華なまやかし体系の数々に帰順していこうとも
わたしはわたしの小さく貧しい学の器を抱え続ける
いま目に見えているものは
やはり本当に存在するとは言えず
存在していないとも言えず
真実とは言えず
真実でないとも言えず
圧倒的な逆噴射で「では存在とはなにか?」
「では真実とはないか?」
と突きつけられ続けている
このことの真実だけはわたしは無視できず
このことだけを土台にする他ないことは否定できない
われ思うゆえにわれ在りと書いたデカルトは
われの実在を確信したのでなどなく
主語を立てないと文(=思考)
主語を隠して「思うゆえに在り」としたほうが
たぶん彼の言いたかったニュアンスに近づける
言いたかったのは
思いと在ることの連結であり直結だ
思いがなければ在ることについての拘泥もない
諸君!思いを思え!
思いとはなにか?
われも在ることもすべて包含する思いとはなにか?
とデカルトは言ったのだ
ど真ん中の仏教哲学だったのだ
和尚デカルト!
喝!
こういったことを
ああだこうだ
こうでないかもしれない
ああでもないかもしれない
だとしたら
どうなのだ?
と
くだくだ
ぐだぐだ
死の瞬間の意識の崩れまで
消滅まで
思い続けない人間というものをわたしは信じない
そんなこと
とうに解答が出ているとか
どうせ解答は出やしないとか
人生を知らぬ青少年の哲学癖に過ぎまいと馬鹿にして
概念の研ぎ澄ましや観念の取捨選択に腐心しない中年や老年の側に
わたしは生涯青二才として
立つことはない
ヘーゲル『精神現象学』!
「意識は、あるものを自分から区別する、と同時に、
そのものと関係する。(…)
そして、
この関係の、
または、あるものの意識に対する存在の、
規定された特定の側面が
知
である」
湿って
暑い夏の一日が
今日も
いま
始まろうとしている
詩歌の連のひとつとしてなら
この程度に書くのが
慣例であろうし
散文より語数を減らす倣いの形式にあっては
相応しかろう
しかし
湿っている、とはなにか?
暑い、という複数の温度比較の上でのみ束の間役立つ形容詞を
あたかも碑文のように刻む詩歌慣例の愚かさとはないか?
無限の意味性にはち切れんばかりの「一日」を
暑い夏の一日!
などと通俗軽薄短慮に作文して
われ何事かを言えり!
と慢心する愚鈍な精神性とはないか?
ロラン・バルト!
ロブ=グリエにむけて!
「たぶん、
『書かないこと』と『存在しないこと』の間には
ひとつの冒険がありますね」
(スリズィ-ラ-サル国際文化センターでの討論会、1977)
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