読書家というものがたいして信頼できないのは
読書というものが
ナイフや他の武器のような
あつかいのじつに困難なものだからだ
使い手によって
いかようにも効果が変わってしまう
老子など
あたりまえに読んでいるよ
という人でも
後半の勘どころの
あの鋭利さを
ちゃんと読んで
他人にサッと伝えてくれたりする人は
じつに少ない
たとえば
第五十八章
災禍には幸福が寄りそっており
幸福には災禍がひそんでいる
だれがその窮極を知っていようか
禍兮福之所倚、
福兮禍之所伏。
孰知其極。
そもそも絶対的正常などはないのだ
正常はまた異常になり
善事はまた妖(まがごと)になる
人々がこの相対の道に迷っているのも
まことに久しいことだ*
其無正。
正復爲奇、
善復爲妖。
人之迷、其日固久。
現代においてなら
この第五十八章
第三章あたりに入れ直したほうがよい
今の時代でなら
第五十八章だよね
と言ってくれない読書家というのは
まったく
信頼できない
*『老子』(蜂屋邦夫訳注、岩波文庫、2008年)
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