2022年9月29日木曜日

夢が“現実”の意識に流れ込み合流し

 

 

危機は、実際に歴史を揺るがす大きな出来事が起こる少し前に、

人間の心の中に現われる。

  ヤコブ・ブルクハルト

 

 


 

夢は第二の人生である

ネルヴァルは

書いたが

あまりに不正確な言い方だと思ってきた

 

夢が第一の人生である

というのなら

まだしも

 

そこまでいわずとも

夢が人生の根底をなす

ぐらいは

言っておいてよい

 

夢が

目覚めた後の

いわゆる“現実”の意識に流れ込み

合流し

その夢を見る前の意識とは

まったく違うものを成していく

といえば

誰でも納得のいく言い方になるだろう

 

これで抽象的過ぎるというなら

昨日わたしが見た夢を記しておこう

 

朝鮮人たちの処刑の現場にいた

 

顔から判断して

朝鮮人なのか

日本人なのか

中国人なのか

よくわからないというのは

いわゆる“現実”の中でもよくあることだが

この夢の中では

処刑されるのが朝鮮人たちだとわかっている

そうだということが

夢の中のわたしの意識に「わかっている」からだ

 

処刑される彼らと

彼らの処刑を見ているわたしとは

となりあって

いっしょにいる

朝鮮人たちは20人ほどいて

わたしも

彼らと

ほとんど

いっしょにいた

 

わたしと彼らの違いといえば

彼らは殺される

とわたしが確信的に知っていることで

わたしのほうは殺されない

とわたしが確信的に知っていることだった

 

やがて

剣や槍などの刃物を持った兵士の群れが来て

グリーン鮮やかな草の広場で

朝鮮人たちを殺し始めた

刺したり

切ったり

切断したり

刃物でできるかぎりの

ひどい切り殺し方をし続ける

 

草はらのわきの

コンクリートの廊下にわたしは立って

刺したり

切ったり

切断したり

というさまを見続けている

 

刺したり

切ったり

切断したり

しても

人間はなかなか死に切らないものだと

実地にあれこれ見ながら

思った

 

そうはいっても

刺したり

切ったり

切断したり

しているうちに

20人ほどの誰もが弱って

倒れていく

倒れたままになっていく

 

ひどい殺し方だ

なんという殺戮だ

と思いつつ

それでも

こんなに衰弱して死んでいく過程に入ってしまえば

だんだん静かになっていくのか

なにもなかったかのように

雰囲気は平和になっていくのか

と思えた

 

刃物による殺戮が

終わった

 

ひどい光景だったが

静かになった

平和になった

 

平和とは

殺戮の後のことを言うのか

と思った

 

すると

殺戮者たちが

今度は機関銃を持ってきた

 

刺したり

切ったり

切断したり

して

殺し尽くしたと思われた20人ほどを

コンクリートの廊下にならべ

機関銃で連射し始めた

 

コンクリートの廊下は

わたしのいるところだったので

跳ね返った弾は

わたしに当る可能性もあった

 

危ないなあ

こんなところに撃って来るなんて

 

そう思って

廊下から部屋に入り

木戸を閉めた

閉めても木戸なので

跳ね返ったり

逸れた銃弾が戸を撃ち崩してくる

室内にも

いつ飛んでくるか

わからない

 

わたしのほうは殺されない

とわたしが確信的に知っているので

仮に銃弾が室内に飛んできても

わたしはけっして恐れないだろう

と自分の心理を読めていたからよかったものの

そうでなければ

非常に恐ろしい状況だった

 

木戸を閉めているから

外の廊下に並べられている20人ほどの体が

無数の銃弾を受け続けてどうなっていくか

見えるはずはなかったのだが

すでに息絶えている彼らの顔が次々砕かれ

手の指が弾け飛び

腕が砕け散り

腹がスポンジや網のように分解していくのが

わたしの意識にはよく見えていた

まさにそんなところが夢のシステムだった

 

このあたりで

わたしは目覚め

いわゆる“現実”のほうに戻ってきた

枕や布団を確認し

わたしが眠っていたことに

気づき直した

 

こうした

朝鮮人殺戮の夢が

目覚めた後の

いわゆる“現実”の意識に流れ込み

合流し

その夢を見る前の意識とは

まったく違うものを成していく

といえば

いっそうリアルに

誰でも納得のいく表現になるだろうか

 

現に

わたしは今も

あの20人ほどの朝鮮人の殺戮の場面を

克明に意識の中に見続けていて

これを抱えたまま

明日も

あさっても

いわゆる“現実”を生きていくことになる

 

どうして

朝鮮人だったのか

 

現代の服装より

すこし古い時代の服装だったようにも思うが

機関銃の出てきたあたり

20世紀以降の光景だったろう

 

それとも

いわゆる“現実”の中で

これから

どこかで起こる光景だろうか

 

韓国人でもなく

北朝鮮人でもなく

朝鮮人…

 




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