2022年10月27日木曜日

生むべきものを生み切ったやつだけが

 

 

うちのスズムシが

まだ

何匹か

生きている

 

メスだけ

 

生きている

とは

いっても

だんだんとは

死んでいくので

餌を替えたりするときは

いわば

遺体確認の時間

のように

なってきた

 

ちょっと前の頃

ばたばた

死が相次いだ時には

餌替えのときの光景は

激戦場の後のようで

ちょっと

悲惨だった

スズムシの飼育ケースにも

中世が来る

中世の秋が来る

と思った

 

おおかた死んでしまった今は

立派な体格の

たいしたやつだけが

生き残っていて

いずれ

死の時は来るだろうが

もう死骸を食い荒らす仲間もいないので

大往生の姿のまま

オブジェのようになって

死んでいくだろう

 

スズムシの産卵は

産卵管を土にちゃんと挿して

土の中に生むのだと思ってきたが

けっこう土の上に

ばらばらと生み散らかす

去年の冬は

そんな土表面の卵を

そのままにして

戸外にケースごと放っておいたが

6月には平気で孵化してきた

自然の生き物の強さには

恐れ入ったものだった

 

きのう見たら

切り株の横にしがみついたメスが

産卵管の先に

白い卵をひとつ

くっつけていた

卵を生み散らしている途中で

ちょっと

休憩でもしていたのか

 

生み切ってしまえば

きっと

ほどなく死が来るのだろうが

産卵管の先に

卵をひとつ

くっつけたままにしているなんて

なかなか

出会えない光景だった

 

人間も

生み切ってしまったやつが

たぶん

死んでいくのだろう

 

年齢も

健康状態も関係なく

生むべきものを

生み切ったやつだけが

ふっと

死んでいくのだろう

 

生み切ったものが

他人から見て

価値あるものか

無価値なものか

そんなこと

どうでもいいのだろう

 

どうせ

だれにもわからないのだ

 

どうせ

だれもわかろうともしないのだ

 

 




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