うちのスズムシが
まだ
何匹か
生きている
メスだけ
生きている
とは
いっても
だんだんとは
死んでいくので
餌を替えたりするときは
いわば
遺体確認の時間
のように
なってきた
ちょっと前の頃
ばたばた
死が相次いだ時には
餌替えのときの光景は
激戦場の後のようで
ちょっと
悲惨だった
スズムシの飼育ケースにも
中世が来る
中世の秋が来る
と思った
おおかた死んでしまった今は
立派な体格の
たいしたやつだけが
生き残っていて
いずれ
死の時は来るだろうが
もう死骸を食い荒らす仲間もいないので
大往生の姿のまま
オブジェのようになって
死んでいくだろう
スズムシの産卵は
産卵管を土にちゃんと挿して
土の中に生むのだと思ってきたが
けっこう土の上に
ばらばらと生み散らかす
去年の冬は
そんな土表面の卵を
そのままにして
戸外にケースごと放っておいたが
6月には平気で孵化してきた
自然の生き物の強さには
恐れ入ったものだった
きのう見たら
切り株の横にしがみついたメスが
産卵管の先に
白い卵をひとつ
くっつけていた
卵を生み散らしている途中で
ちょっと
休憩でもしていたのか
生み切ってしまえば
きっと
ほどなく死が来るのだろうが
産卵管の先に
卵をひとつ
くっつけたままにしているなんて
なかなか
出会えない光景だった
人間も
生み切ってしまったやつが
たぶん
死んでいくのだろう
年齢も
健康状態も関係なく
生むべきものを
生み切ったやつだけが
ふっと
死んでいくのだろう
生み切ったものが
他人から見て
価値あるものか
無価値なものか
そんなこと
どうでもいいのだろう
どうせ
だれにもわからないのだ
どうせ
だれもわかろうともしないのだ
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