C'est une grande folie que de vouloir être sage tout seul.
La Rochefoucauld
mRNAワクチンの
生後6ヶ月から4歳児までの接種がはじまったそうで
まともな医師たちやまともな専門家たちは
狂気の沙汰であるとして
頑張ってSNS発信をしている
mRNAワクチンなるものが
どれだけ身体を損う構造物であるか
すでに各方面から明らかになっているので
それを乳幼児に注入しようとする国や行政の動きが
狂気の沙汰であるのは明白である
しかし
わたしはまともな医師でもなく
まともな専門家でもないので
生後6ヶ月から4歳児までの接種も
この一国家の末期状態の症状として
傍観し続けている
はなはだしく健康を害したり
将来の不妊を運命づけられたり
すぐにも死んだりする乳児や幼児は
わたしの子でも孫でもない
その子らに打つと決めた親たちの子である
その子らに打つと決めた親たちは
コロナウイルス詐欺のなかで
全員がわたしの最悪の敵にあたっているので
それら敵の子孫が自滅していったり
将来子種が絶えていったりするのは好ましい
ロジャー・ムーアが演じていた頃の
『007/死ぬのは奴らだ(Live And Let Die)』
というタイトルを
ふと思い出してしまう
わたしはどこまでもハードボイルドだ
Live And Let Die
という原題は
思い出し直すと
言ってくれるじゃないの?*と思ってしまうような
しゃれた冷酷さだ
敵が自滅していく時には
邪魔せず手出しせず
そのまま自滅していくように
放っておけ
とナポレオンもどこかで言っていた
文学者としては曹操と同じく
珍しく本当に殺し殺される状況を生きた
ラ・ロシュフーコーは
「ただひとり賢者であろうとするのは大いなる狂愚である」
と「狂愚」や「狂気の沙汰」の位相を転換しているが
あまりに大がかりな狂気の時代の
ワンダーランドにふいに入り込んでしまったわれらアリスは
「何人も悪意の人となりうる強さを持たないかぎり
善良さを称えられるに値しない。それ以外のあらゆる善良さは
ほとんどつねに怠惰か、意志の無力にすぎない」とか
「狂気というものは
生涯のどの時期にもわれわれについてまわる。
もし誰かが賢者に見えるとしても、
それはただ、彼の狂気ぶりが
年齢とめぐりあわせに釣り合っているだけだ」とか
「あらゆる悪巧みの中で最も巧妙なのは
相手が仕掛けてくる罠にはまってしまう振りを
たくみに装って見せてやることである。
人というのは、誰かを騙そうと思っている時ほど、
やすやすと騙されてしまうことはない」とか
「陰謀においては、
不抜の気概が心の支えとなっていなければならない。
これに比べれば、
戦場の危険に際して必要とされる度胸など
せいぜいが勇猛心だけでこと足りる」
といったラ・ロシュフーコーの箴言の数々を
大急ぎで復習し直しておくこと
これ肝要というところだろう
「学びて時にこれを習う。
また喜ばしからずや」である
ま、甘っちょろい文弱奴隷むきの文芸なんぞは
捨て去るべき頃あい
この先どうなることか知らねども
「以後のことみな乱世にて侍ればと言ひつつつひに愉しき日暮れ」
たびたび巡り来ようというもの
*「
**「
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