(短歌講義ふうに)
西の海の仮のこの世の浪の上になに宿るらむ秋の夜の月
後鳥羽院
後鳥羽院は、承久の乱で敗北し、隠岐に島流しにされて、そのままそこで59歳で亡くなった、悲劇の天才歌人です。
見えている情景としては、夜に、西の海の波の上に秋の月が出ている、というものです。「浪の上に」と言っていますから、けっこう海面に近いあたりに月が出ているのでしょう。
しかし、後鳥羽院は、「仮の」という言葉を入れています。これによって、ただの秋の夜の月の叙景歌がガラリと変わり、人生観も世界観も引き込んで来ることになります。
西の海の、つかのま生存するだけの、この仮の世の波の上に、あの秋の月はどうして宿っているのだろうか、といった意味に変わってしまいます。
いま、きれいに月の出ているのが見えるこの世は、誰にとってもわずかの間滞在しているだけの仮の居場所に過ぎず、いずれは死んで、ここを去って行かないといけない。そう思ってみれば、あの月がきれいだとか、見事なひかりだとか、そんなことに感動したからといって、それがなにになるのだろうか…
こんな思いがどんどんと湧いてくることになります。自分がいずれ去らなければならないこの世界の秋の月の美しさは、去っていく時に、体も、目も、脳も、感情も、心も、思考も、記憶も、すべて捨てていく自分にとって、どんな意味があるのだろうか。
そんなところまで、容易に読者の思いを運んでいくのが「仮の」という二文字の挿入であり、後鳥羽院は、この二文字によって、地上体験の意味を根本から問い直すものに、この短歌を変貌させてしまっています。
後鳥羽院だけでなく、この世界へのこうした問いや、この世の意味についての鋭い問い直しが、『新古今和歌集』の頃の歌人たちには共通するものでした。
後鳥羽院の天才性は、しかし、過去の短歌の広範な読書という勉強量に支えられているものでもあって、この歌に元歌が、つまり、本歌があるのを知ると、後鳥羽院がほんのちょっと手を加えただけだったのがわかります。
大分県の宇佐八幡の神詠として伝わる歌にこんな歌があり、『新古今和歌集』の神祇の巻に入っています。
西の海立つ白波の上にして何過ぐすらむ仮のこの世を
なぜ、仮のこの世の、西の海の白波の立つ海上で過ごしているのか。
そんな意味の歌で、いったい誰が海上にいるのか、わかりません。女帝の称徳天皇の時代に、使者としてやって来た和気清麻呂に、宇佐八幡宮から託宣された歌だと言われていますが、それを元にして考えると、和気清麻呂のこととも取れるし、当時、称徳天皇を我がものとして権勢を振るっていた道鏡とも取れるし、称徳天皇のこととも取れるし、宇佐八幡の神とも取れます。
称徳天皇のこの時期のことは非常に複雑な日本史上の時代で、この短歌にしても、曖昧で、どれとも決められませんが、政治的な問題を扱っている短歌であることは確かです。
ここで問題なのは、やはり政治的な活動家だった後鳥羽院が、あえてこの歌を使いつつ、本歌取りをして、先の歌を作った点にあります。
後鳥羽院の歌の場合は、海上にあるものとして、はっきりと「月」を出しています。
月は昔の治世の鏡とも喩えられることがあるものなので、後鳥羽院のこの歌における「月」は、政治的な正義を意味しているとも言えます。
なかなか面倒な話になってきますので、こういった読み込みも出来る歌になっているということだけ、ここでは気に留めておいてもらえばいいと思います。
いずれにしても、後鳥羽院の歌の中で効果を出していた「仮の」という表現が、じつは、宇佐八幡の神詠の歌からのかっぱらいだった、というところを見ておけばいいでしょう。自分の歌の核心となる部分さえ、よその歌から盗んできてしまうのです。
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