無からの創造
すなわち
creatio ex nihilo
後代のキリスト教で形成された
この宇宙観ほど
危険
なものはない
無から創造が可能なら
いつでも
有を無に戻せる
物質界の様相が意に沿わぬものとなれば
いったん無にして
その後の
ふたたびの創造を待つ
という態度が
容易に正当化される
この教義は
万物のかたち(エイドス=形相)だけでなく
質量=ヒュレーも
神が創造したという発想から来る
紀元3世紀の教父
テオフィロスやオリゲネス以後の発想である
浅薄な煽動思想として
SDGsという危険思想を耳にするが
もし
少しでも本気でSDGsするなら
まずは
キリスト教を殲滅するところから始めるべきである
善のふりを何百年もしてきた
大本の巨悪をそのままにしておいて
なにがSDGsか
もっとも
キリスト教が支えてきた
地上悪を除去して
物質界の基底部に残っている
キリスト教以前の本源状態に対してSDGsする
という気ならば
別だが
しかし
どこまで遡るつもりか
全きアイオーンたる
プロパテール(原父)やビュトス(深淵)までか
それとも
そこから流出した四つのものの状態までか
それとも
さらにそこから流出した八つのものの段階
すなわち
「根源的なオグドアス」までか
それとも
さらにその後に流出したものたちから成る
三十のアイオーンのある段階までか
オグドアスの段階で
古代エジプト神話まで
遡らねばならなくなるだろう
エジプト神話では
天地創造以前の混沌とともに
男女四組の八神が存在したとしている
オグドアス概念は
日本の神話や伝承にも飛び火している
『日本書紀』における崇神天皇の巻においてさえ
八
は特権的である
九年春三月十五日、
天皇の夢の中に神人が現われ
教えていわれた
赤の楯八枚
赤の矛八本で
墨坂の神を祀れ
また
黒の楯八枚
黒の矛八本で
大坂の神を祀れ
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