ひとつには語句の編集を心得る
ふたつには問いへの答えを心得る
みっつには心の意味自体を心得る
これが心得る三種である
ミラレパ 『十万歌謡』
なんやかや
自由詩形を使って
ものを書くのは
最強のディベート手段だ
と
確信している
(論理と非論理と
ぐだぐだの
感情論と
妄想と幻想と
生硬な専門用語まで
ふりかけして
語り続けられる場は
ここしかない)
長い不遇の時代を経て
ふたたび
詩形式の時代が戻ってきている
と
確信している
(ブログや
SNSの書き込みを見れば
もはや
たいていは
自由詩形になっている)
いざとなれば
定型詩に
すぐに撤退できる
(朔太郎のように)
一行で済ますことも
できる
(安西冬衛のように)
しかし
詩ってのは
短くって
キリッとしてて
真理!って感じで
格調高くって
言葉を切り詰めてて
ってんじゃないと
いかんだろう?
(そういうの
作りたかったら
どうぞ
おひとりで
あなたが逆立ちしたって
宙返りしたって
コバンザメのような
後世のプチ学者や批評家による
担がれぶりという点では
追いつけない
マラルメさんの詩だって
実際は
そこそこ
長いよ)
人間のうちで
もの書く人間は
とにかく
死ぬまでワギャワギャ
書き続ける
んだわ
サ
なんだ
あいつのグタグタ書きは?
グチャグチャ書きは?
そう見られながら
書き続ける
んだわ
サ
もとより
自由詩形で書くべきことなんて
ひとつも
これっぽっちも
なぁんにも
ないんだからね
だから
なんやかや
自由詩形を使って
ものを書くのは
最強の意志の修行だ
喩えていえば
ミラレパの
意味と意義と価値を超越した
苦行だ
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