2023年1月19日木曜日

たった一冊ぱらぱらと捲ってみるかみないか

 

 

 

復讐するは我にあり

我これに報いん

  新約聖書「ローマ人への手紙」

 

 

 

 

原田眞人の映画『燃えよ剣』を見ていたら

寝姿を見れば長州の人間はすぐわかる

かならず東に足を向けて寝る

という話が出てきて

東の江戸を拠点とする徳川への憎しみから

東に足を向けて寝る

ということだとわかった

 

このことは知らなかったので

面白かったし

なるほど

とも思った

 

わたしは江戸っ子であるし

母方は江戸時代は江戸住まいの士族なので

長州や薩摩のことはこころよく思っていないし

明治維新以後の長州ののさばりぐあいを

心底不快に思うように育ってきている

いかに長州と薩摩に甚大な損害を与え返すか

これが江戸っ子の宿題だとさえ思ってきた

それほど明治維新の恨みは強く残っていて

おなじ日本人なのだから

などと

簡単に団結するような意識にはなれない

長州薩摩は絶対的な敵であって

未来において

絶対に根絶やしにしなければならない

そのぐらいの強烈な思いを

どこまでも持ち続けねばならない

などと

感じてきた

 

しかしながら

年来のこの思い込みを

改めないといけない

と思う仕儀に

ふいに

立ち至った

 

買ったまま

読み終える時間もなしに

書庫の奥に放り込んであった小島慶三の

『戊辰戦争から西南戦争へ』を

気まぐれに捲ってみたら

長州や薩摩が徳川を恨むのも

なるほど

よくわかる

ふいに

腑に落ちてしまったのだ

 

家康が諸大名の力を削ぐために

あらゆる陰湿な策を弄したのは知られているが

大名の改易や減封は大がかりだった

敵対者である毛利に対しては

120万石から37万石に減封したりしている

642万石余を諸大名において減封し

当時の日本の総石高の約2割を

幕府が取り上げるかたちとなった

いちばん被害を被ったのは

長州の毛利に薩摩の島津

土佐の長宗我部

会津の上杉であった

もちろんお取りつぶしにあたる改易は

さらに大きな被害を生むが

その措置にあった大名は88

引越しさせられた大名は73家で

考えようによっては

これは明治維新どころの騒ぎではない

 

長州と薩摩と土佐は

270年間この恨みを忘れずに

幕末になって一気に報復に出たと思えば

復讐をわが生涯のポリシーとするわたしにとって

長州と薩摩と土佐は

いきなり人生のありかたの同胞にさえ

見えてくることになる

 

いわゆる「お手伝い」と呼ばれる

治山治水や城の造営や修復などの労役も

大名イジメには過酷な効果を発揮した

もっとも理不尽で非情な例は

木曽川と長良川と揖斐川の合流点の治水工事で

これがなんと遠方の薩摩藩に命じられた

まったく未知の土地に1000人の藩士を派遣せねばならず

費用は40万両を自腹で賄わねばならない

あまりの難事業に病死者33

過酷な工事への憤りや絶望からの自殺者52人を出し

工事終了後には

統括者の家老平田靫負が自刃している

 

長州の毛利にしても

江戸城や名古屋城の修築や

上利根川の河川工事などを命じられ

毎年の新春には藩主が家臣を集めて

「関ヶ原の恥辱を忘れるな」

と復讐の思いを共有するのが

恒例だった

 

なぁんだ

ある

 

長州も薩摩も土佐も

臥薪嘗胆して

よくぞ

報復を遂げた

ということ

では

ないか

 

小島慶三のように

『戊辰戦争から西南戦争へ』で

ズバリと

わたしにとって必要な知識を教授してくれる人がいてくれて

まこと

天の助けというべし

 

これだから

本というのは

恐いもんだよねえ

思う

 

たった一冊

ぱらぱらと捲ってみるか

みないか

そんなことだけで

人生の根幹が

精神の底が

グラリと変容してしまうのだ






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