2023年6月23日金曜日

無音

 

 

きのう今日

怪談のヴィデオをふたつ

すすすすっと

見る

というより

聴いてしまったが

もとより

ずっと注目して聴き続けている

怪談師のものだし

なかなか

できのいいものだったので

それなりの満足感が

あった

 

なにより

怪談好きに生まれついているので

夏ともなれば

もう

もう

季節到来である

 

この頃は

海外からの観光客も多くなったが

夏の日本に来て

怪談に触れないというのも

他人事ながら

もったいないと思う

夕食の後の

ほんの

三十分や四十分でも

昨今の翻訳機を駆使して

同時翻訳をつけて怪談を聞かせてやったら

それこそ

日本文化に触れたと

いえそうなもの

 

慌ただしい現代

いまさら怪談でもないでしょう

というわけでもないのは

お化けや物の怪なるものを知っていれば

すぐに腑に落ちるものだが

現代的なはずのわたしのビル住まいでも

それほど恐いわけでもないが

どうにも理解しかねる現象の起こる19階なんぞがあったりして

ちょっと注意して探してみれば

ああ、そういえばあれも

これも

などというふうに

きっと数に上ってくるはず

 

歳を重ねてくると

物の怪のたぐいはだんだんと恐くなくなってきて

暗闇だろうが墓地の裏だろうが

べつに恐くもないという気持ちになるが

じぶんが怖がって

夜に寝るにも明かりを点けたまま寝たのは

最後はいつ頃だっただろう

などと

ときどき思い出そうとしてみる

 

じつは

はっきりと

ひとつ覚えていて

あれは

今から25年ほど前

憑かれたように奈良や明日香に通っていた時分

桜井の安い宿に泊った時のことだった

ビジネスホテルならぬ

ビジネス民宿のようなところで

六畳間に小さなテレビがあるだけの

面白みもない部屋だった

それでも清潔にされているので困らないし

翌日ははやく起きて明日香を歩きづめにする予定だったので

風呂に入った後は寝るだけのことだった

 

どこか不気味な気配があったわけでもないし

特に怪異があったわけでもない

その夜はしかし

泊まり客はわたしひとりだけで

客室がずらりと並んでいる二階にいるのは

わたしたったひとりだった

二階には同じような六畳間の客室が

廊下をはさんで8部屋か10部屋ぐらいずつ並んでいて

あわせて16だか20ぐらいの部屋数だっただろう

廊下には蛍光灯が点いていて

暗くはないが蛍光灯のあのうら寂しさがある

トイレはいちばん奥にあり

わたしの部屋はそこからいちばん遠い階段わきで

トイレに行くにはずっと廊下を歩いて行く

べつにそんなことが恐いわけでもないのだが

それでも気持ちがいいわけでもなくて

寝る前にトイレに行った時にはちょっと心細くなった

 

トイレに入っていると

やけに外の廊下や並んでいる部屋のいちいちの無音が

リアルに無音として耳に来る

なにも起こっていないそうした無音が

けっこう恐いような感じに捉えられてくる

 

そうして部屋に戻ってきて

布団の上掛けの下にもぐり込んで寝ようとしたが

部屋の中央に下がっている蛍光灯の明かりを

うっかり消すのを忘れてしまった

起き上がって消そうと思ったが

ちょっと考え直し

今夜は明かりは点けっぱなしにしておいたほうが

いいかもしれない

などと思った

そう思ってしまうと

これが不思議なもので

なんとなく

いっぺんに恐いような気持ちに雪崩れていく

なにひとつ

恐いことなど起こっていないのだが

15だか19だかの空室があるだけの二階のじぶんの部屋で

朝までたったひとりで横たわって寝るのが

とほうもない恐ろしい企てのようにふいに感じられた

 

何事もなしに翌朝目覚め

部屋の蛍光灯の明かりよりも日光で部屋中が明るくなっていて

恐いどころか

安くて清潔で静かなよい宿で過ごせたとわかったが

廊下に出てみたり

奥にあるトイレに行ってみたりすると

昨晩とはうって変わった朝の明るい廊下やトイレとなっていて

そのことから

逆に

昨晩がどれほど

じつは異様な空気に領されていたのかがわかった

 

なにも起こらない

なにも聞こえない

だれひとり他にはいない

という

はっきりと耳に来た

あの露骨なまでの物質的な無音が

やはり

特別に異様な怪異そのものだったと

トイレのきれいな白いタイルを見ながら

わかった

 

 




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