夏がしだいに成長しつつあり
ほうぼうの林や森の緑が濃くなっていく
台風に刺激された大雨の
各地の映像を見ながら
盛りに向かう緑の強さ深さが印象深かった
万葉集の歌を思い出した
青山の磐垣沼(いわがきぬま)のみごもりに恋ひや渡らむ逢ふよし
青々と茂っている山の
石でかこまれたあの沼の水のなかに隠れるようにして
隠れ忍んで
恋続けていくことになるのだろうか
逢う手立てもないのだから
そんな歌だが
夏の盛りに向かう
暑くなっていく頃の季節の
ひた隠す恋
忍ぶ恋の
しだいに蒸していく
肌のほてりや
発汗を伴っていくような恋のありようが
古今集以降にはない
万葉集の独擅場に感じられる
万葉集時代の「みごもり」という言葉は
「水籠り」や「水隠り」と書いて
水のなかに隠れることであったり
思いを心のなかにしまって
外に表わさないことであったりした
この「みごもり」という言葉を使って
五島美代子は
娘の妊娠に寄せて
過去の自分の妊娠の感触を思い出しながら
このように詠んだ
子をうみしおぼえある身にひびき来て吾子のみごもりいや深むころ
この場合の「みごもり」は
現代ふうの使い方で
妊娠することを表わしている
子を生んだ経験のある私の身にも響いてくるような
わが子の妊娠が
ますます深くなっていく頃だ
と歌っている
自分も母親として
かつて妊娠し
「みごもり」が深まっていく時期を経験してきているので
外から見ていても
いま娘のからだに起こっていることが
自分自身の「身にひびき来」るように感じられる
というのだろう
「みごもりいや深むころ」
という表現が
この歌の焦点となっている
ふつう
妊娠が「深まる」とは
なかなか
言い表せない
「みごもり」と「深まる」ことを
みごと
教育的に結びつけて
万葉語からそれ以降の日本語の鳥瞰に疎くなりがちな
われわれに
提示して見せてくれた
五島美代子の歌に突かれて
先の万葉集の歌をふり返ってみると
万葉人の恋ごころの
沼のような深さを
想像力が感知できるようになっていく
青山の磐垣沼(いわがきぬま)のみごもりに恋ひや渡らむ逢ふよし
青山の磐垣沼のみごもりに
と歌うような
深い恋を
当然のこととして
する
人びとの
時代の
歌であったか
と
思い直す
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