2023年7月29日土曜日

「現在」とともにのみ在れ


 

 

ガラテヤの信徒への手紙に

「時が満ちると、御子が遣わされた」

とある

 

霊性の探究を続け

多くの神秘書を読んできた人なら

キリスト教における「御子」は

じつは霊的な悟りのことを指すとわかる

 

満ちる「時」とは

その人の霊的修行や霊的行程が

満期になることである

 

そうすれば

「御子」が遣わされる

「御子」とは

神とその人を直結させるパイプであり

神という外へ開かれた窓である

神そのものと言ってもいいが

人間がふつう

自分の肉体を生命そのものとまでは言わないように

「時が満ち」た人を神そのものとまでは

かろうじて呼ばないだけのことである

 

マイスター・エックハルトは

時が満ちるのには

ふたつのかたちがあると言う*

 

ひとつは晩に一日が果てるように

ものの終わりにおいて

あるものが「満ちる」場合

「つまり」とエックハルトは言う

「すべての時間があなたから失われ

あなたが死ぬ時」と

 

ふたつ目は

時間がその果てに至る時だと言う

時間が永遠のうちへと入る時であり

一切の時間が終わりを告げ

以前も以後もなくなり

すべて現在となり

すべてが新たなものとなる

 

かって生起したものも

これから生起するものも

あなたはここでは

ひとつの現在なる直観の内で掴む

ここには以前も以後もなく

一切が現在である

このように

マイスター・エックハルトは言う

 

禅だけでなく

神秘主義的実践が経験しようとするものが

エックハルトの言うこの「現在」である

 

これは

神秘主義的な感性のない人にとっても

参入の不可能な境域ではない

ただ「現在」とはなにか?

と考えようとしさえすればいい

 

多くの人は「現在」について答えを持っていない

答えを持っていないことは正しく

まっとうで

それゆえに「現在」をあらためて知ろうと

ふつうの思考とは違う思考を動かせ始める

ここで起動するふつうでない思考とは

霊の動きであり

実質的には

霊から肉体的な脳に伸び下りてくる触手である

この触手が「考える」際には

この人界で用いられている言語は不要である

人界の言語は物質であり

重く鈍く

霊の用途に益するものではない

こういう「思考」を行なっている人は

どこか頭の鈍い人のようなボーッとした反応を示す

しかしそれでよいのであり

この時に激しく強い霊的集中が発生しており

霊の触手が「現在」をじかに研究している最中といってよい

 

「現在」の驚くべき力と実相こそ

多くの人びとが実質的に考究すべきである

あらゆる過去はかつて「現在」であったが

いまここにある「現在」はあらゆる過去の「現在」と繋がっており

それどころかあらゆる過去の「現在」そのものである

過去についての知をすべて得ることができ

保有も使用も考究も改変もできるのはそのゆえだが

そのためにはいまここにある「現在」の実相の考究と解明から始めて

ありとあらゆるものと非ものの底に流れる「現在」を知り尽くす必要がある

しかもこの研究は万人にとって困難でもなく

特別の方法や準備によって秘匿されているものではない

ただ「現在」に密着して「現在」とともにあろうとせよ

心がけとしてはこれだけでよく

他にはなにも必要とされない

むしろ哲学的思弁を弄して「現在」を語ろうとすることのほうが

よほど「現在」そのものから離れてしまうことになり

霊的な認識の増大や進化を遅らせてしまうことになる

思弁的な脳の使用過多や

言語情報や表象情報過多が

霊的な歩みを決定的に遅らせてしまうのはこのゆえである

 

心配することなく

まよわず

あなたはあなたの「現在」と密着して在れ

他人の「現在」はあなたにはなんの役にも立たない

それは情報でしかなく

あなたはそれを分析し解釈し再統合して

あなたの霊に情報のエキスをかろうじて送信できるに過ぎない

それをやっている間にあなたの「現実」は変容し続けていってしまうのだ

 

古来多くの覚者たちが

破屋も塵芥も汚物も聖なるものだと説くことがあったのは

それが「現在」だからである

もしあなたが美術品や美しい花々に囲まれているならば

もちろんそれらを「現在」とせよ

しかしそれらがなく

破屋や塵芥や汚物とあるならばそれらを「現在」とせよ

その時代のあまりに狭量で偏狭な価値観や美醜意識に立脚することなく

いまのあなたの「現在」とともにのみ在れ

「現在」だけがあなたのすべてを救い

すべてを光輝ならしめるだろう

「現在」によってあなたは力を得続け

すべてを超えていくだろう

 

この書きつけにおいて

並んでいく単語たちを衣とする「わたし」は

人格的変容を受け入れ

それを隠さずにそのまま表わした

 

この書きつけを読んだ人たちは

「わたし」の到来を

そのまま見た

 

「わたし」は来た

 

あなたがたにとって

「わたし」が来たことに居合わせたのは

幸福な経験である

 

あなたがたも

つかの間の社会の一時代に形成された一枚の「わたし」にとらわれず

多くの人格的変容を受け入れ

さらに奥から

さらに遠くから到来する「わたし」を

つねに

すみやかに受け入れられるよう

心づもりを

 

 




 

*マイスター・エックハルト『自分自身を脱ぎ捨てるということについて』(説教24)






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