2023年7月29日土曜日

ピエール・キュッサ-ブトン (Pierre CUSSAT-BOUTON)


 

 

上野の美術館で

マチス展をやっている

東京都美術館で

マチス展をやっている

 

夜8時まで

金曜日はやっている

 

見に行った

 

夜6時過ぎに

上野の山に入り

上野の山の夏の夜はいいなあ

と思ったなあ

 

ここで戦争も殺しあいもあったし

あちこちに

けっこうな数の死体も埋まったままで

本当は不気味なはずのところなのが

現代という時代のせいで

不気味さが薄味になり過ぎてしまっているが

夜になるとちゃんと

うっすら不気味になってきて

いいなあ

やっぱりいいなあ

 

マチス展は

さっさとまわって

30分ぐらいで見終えてしまった

 

発見はない

 

マチスはたくさん見た

パリでさんざん見た

パリにいて飽きてくると

美術館に行く

ルーブルも

オルセーも

ポンピドゥーも

うんざりするほどくり返し行って

見直すのにうんざりしないことに毎回驚いた

マチスの大作もあちこちで見た

画集だって何冊か大きいのを持っていた

マチスはたくさん見た

マチスはさんざん見た

 

発見はない

 

やっぱりきれいだね

やっぱり思い切ってるね

やっぱり突き抜けてるね

やっぱりマチスだね

やっぱりマチスなんだよなあ

 

なにか言おうとすると

そんな言い方に

まとまっていってしまう

それ以上言おうとすると

分厚い評論みたいな語彙と口調で

ながながと言い続けるほかなくなる

じぶんの価値観づくりに必死の

生意気な小賢しい大学生の

議論の吹っかけあいみたいに

 

そんな語彙と口調で

議論を吹っかけ合える相手は

もうひとりもいない

みな死んでしまったか

音信不通になってしまった

 

仮に連絡をとり続けていたとしても

この国の人間なのだもの

角がとれて丸くなってしまって

まあ、いろんな考えや見方があるものさ

みんな違ってみんないい、なんてね

などと言いながら

どうだ、ほら、もう一杯

などと酒を注ぎ足す姿に

落ち着いていってしまうのだろう

 

やっぱりきれいだね

やっぱり思い切ってるね

やっぱり突き抜けてるね

やっぱりマチスだね

やっぱりマチスなんだよなあ

 

そんなしゃべりかたは

やめようや

とにもかくにも

こういうのを言葉の死といい

思考の死といい

感性と価値観の死というのだ

 

見終わったあと

買うわけでもないのに

ショップを

ずらずら

だらだら

見た

 

絵葉書とか

複製画とかはわかるが

マチスの絵を印刷したTシャツとか

トートバックとか

マグカップとか

いつもながらのこととはいえ

よくもまあ

こんなにたくさん作るよなあ

よくもまあ

買っていくもんだよなあ

Tシャツが5000円とか6000円とか

信じられないんだけど

1000円から2000円程度のTシャツしか

買わないできた人生なので

昨今の高価なTシャツっていうのが

まったく理解できない

ビアリッツからバイヨンヌにまわって

バスク語の書かれているTシャツを買った時は

ちょっと値が張ったものだが

それだって3000円以下だった

安いのに部屋の大きなホテルに泊まった

夏の祭りで明け方まで街中がうるさかった

広場に面した回廊にあるレストランで

騒がしい中でエレーヌとディナーを食べて

ちょっと映画のロケーションのようだった

アラン・ドロンがふいにわきにでも来て

『太陽がいっぱい』の世界に入り込んでも

おかしくないような特別の祝祭空間だった

 

なにも買うつもりもないショップなのに

香りのするものに急に惹かれた

サボン・ド・マルセイユの100グラムの

小さな包みのいろいろな種類を嗅いだ

フランスの家庭やホテルでいつも香っていた

懐かしい香りばかりの石鹸たち

松とオリーブの木の香りが

ことのほか懐かしかった

毎日毎日洗面所でこの香りがしていて

食事の前にこの石鹸で手を洗ってから

あわてて食卓に向かったりした

 

ピローミストやオードトワレのうち

ホワイトティーの香りも懐かしい

フランス語ではテ・ブランといい

白いお茶という意味になるのだが

どうしてそんな名前なのかしら?

いまもわからないが尋ねた家々で

この香りをさせている家もあった

高級な香水の香りではなく

ごくふつうのフランスの家庭の

主婦が好みそうな香りのひとつ

 

なにも買うつもりもなく

むしろ商品も購入も馬鹿にしているのに

小さな石鹸とピローミストのふたつ

Pin&Bois d’Olivierの香りの

サボン・ド・マルセイユと

Thé blancの香りのピローミストは

買っていってしまおうと決めた

使うためでなくて

机の引出しに入れておいて

たまに鼻に近づけて香りを嗅ぐために

 

香りという物理的な実体を

つねに手元に置いておくことで

完全に過ぎ去って宇宙的に二度と戻らない

エレーヌとともに生きたフランスの日常を

できうる限りかつ然るべく小規模なかたちで

保ち続けるために

 

エレーヌの姉の夫ピエール・キュッサ-ブトンは

しろうとながら家系図づくりに凝っていて

2002年にわたしの名を彼の家系図に書き入れ

ジャポネをひとり我が家の家系図に書き込めるのを

誇りに思うと言ってご満悦だった

ピエールは2011年に心臓の不具合で死んだが

あの家系図はいまも残されているだろうか?

 

フランス人とはいえフランス文学など読みもせず

美術にもまったく興味を示さず

音楽はかろうじて生涯に数回の交響曲程度

歴史にだけは興味を持っていたので

しろうと向けの歴史の本をときどき読んでいたが

とにかくおしゃべりがとまらないので

わたしにとっては生きたフランス語ラジオの役を

いつも演じてくれていた

ピエール・キュッサ-ブトン(Pierre CUSSAT-BOUTON)!

 





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