子どもの頃をちょっと懐かしみ
『ドリトル先生の旅』を英語版*で読んでいたら
マシュー・マグの紹介のところで
驚いてしまった
子ども向きの井伏鱒二訳では
マシューは「猫肉屋」とか言っていなかったっけ?
英語だとthe cat’s-meat manとあって
まあ、「猫肉屋」と言ってもおかしくはない
しかし驚いたのはその後だ
小学四年生ぐらいで読んだ時には
マシューは猫の肉を売る仕事をしているのだと
思い込んでしまっていた
ずいぶん野蛮な話だが
日本でも戦後の焼け跡では
犬のカツなどふつうだったというから
それよりも昔のイギリスでは
猫肉を食べるなんていうのも
けっこうふつうにあったのだろう
そんなふうに理解していた
英語で読み直してみると
たしかに
In those times,
being a cat’s-meat man was a regular business.
だなんて書いてある
そうか、a regular businessだったのか
と確かめ直す
ところが
その後を読んでいくと
マシューは殺した猫の肉を売っているのではなく
猫や犬に食べさせるための肉を
売り歩いてまわっているのがわかる
People paid him to give this meat to their cats and dogs
instead of feeding them on dog biscuits
or the scraps from the table.
だというのだ
小学生の時に翻訳を読んでから
何十年も誤読したままで
ドリトル先生の世界のイメージを抱えてきたことに
世界のひっくり返しのように驚かされた
井伏鱒二の訳は手元にないので
確認はできないが
まさかここを誤訳しているわけはないだろう
だいたいドリトル先生は
『熊のプーさん』や『ピーターラビット』を訳した
英語のよくできる石井桃子が下訳をして
それを近所にいた井伏鱒二に渡して“超訳”させたのだ
よけいに誤訳のあるはずがない
子どものわたしが
大きめのハードカバーの本を小学校の図書館で借りて
毎日学校と家とのあいだを運び歩いて
ロフティングの世界にのめり込むように読んでいて
しでかしてしまった
とんでもない誤読なのだ
学校の渡り廊下のわきの低いコンクリート壁の上にでも座って
夏休み前の暑い昼休みなどに
ちょっとうつらうつらしながら読んでいて
きっと誤読したのだ
その誤読のまま
ながい時間を生きてきてしまった
猫肉屋のマシューは
どこか店の裏あたりで猫を殺して
皮を剥いで肉にして
そうして
Meat! M-E-A-T!などと叫びながら
街じゅうを売って歩いていたのだ
などと
勝手にひとり思い込んで
生きてきてしまった
なんと
まあ
ながいながい歳月!
ドリトル先生については
わたしのながい歳月は
すっかりフィクションであり
フェイクであり
いんちきだった
探せばきっと
他にもいろいろあるに違いない
リアルに生きてきたつもりが
細部細部で
じつはフェイクでした
じつはフィクションでした
じつはいんちきでした
というような
ことが
*The Voyages of Doctor Dolittle by Hugh Lofting,1922
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