2023年8月28日月曜日

「ローレル&ハーディ」から「神事」

 

 

 

ローレル&ハーディ(Laurel and Hardy)の

『宝の山 Way Out West』(1937)の

名場面

 

https://youtu.be/LXCwlO2jnYU

 

ローレル&ハーディは

1920年代から1945年まで

アメリカを席巻したお笑いコンビで

チビで気弱なスタン・ローレルと

デブで怒りんぼのオリヴァー・ハーディの

二人組というイメージは

その後の世界のお笑い界に

深い影響を残すことになる

日本では

「極楽コンビ」と呼ばれて

親しまれたそうな

 

ひとりでのお笑い作りであるチャップリンやキートン、ロイド

5人兄弟でのお笑いであるマルクス兄弟に対して

二人お笑いという位置付けを

彼らは担った

 

人はなにを見ると

滑稽さを感じ

気持ちのよさも同時に感じて

見入ったりしてしまうのか

それを考えさせられるシーンだ

文化や国境を越えて通用する笑い

というものを

再考させられる

 

二人以上の人間が同じ動作をする光景は

視覚的な「メロディー」の要素となる一単位を作り出し

そうした単位を複数用意してユニットを構成していくのが

古来

あらゆるダンスや映画の基本作法となる

 

バレエばかりか

現代のK -POP

「モーニング娘。」

AKB48

以降の

多くの若い女の子や男の子を使って

同一の動作をさせる演出まで

じつは

このローレル&ハーディの一場面と

同じ構造で

作られている

 

詩歌、踊り、音楽の原理はつねに

繰り返し

の創出であり

また

わずかなズレ(差異)を

「新しさ」として

そこに

潜ませることが

スパイス

となる

 

繰り返しという刺激と

ときどき介入してくる差異という「新しさ」の幻想を

脳に与える装置を

「文化」と呼ぶ

 

民俗学的

文化人類学的には

若い複数の女の子たちに同一動作をさせて歌わせたり舞わせるのは

繰り返しという土着神を祭り

「新しさ」という外来神(マレビト)を招くための基本形式なので

複数の若い女の子を使うことにこだわり続ける

日本や韓国の現代のポップス界は

この極東地域の根源的な未開性や反近代性を

たぶん

端的に示している

 

複数の若い男子に同一行動を取らせる「神事」は

古来

「戦争」というかたちで維持されてきたが

戦争を「放棄」した日本では

若い男の子の複数使用はべつのかたちで発現しなければならない

それが芸能界やスポーツ界などに

グループや集団というかたちで

出現し続けることになる

 

言うまでもなく

全国高校野球大会は

日本人という未開部族にとっては

「神事」

にあたる

 

もちろん

ほぼ同じ姿をした多数のサラリーマンや多数の学生が

出勤・通学を繰り返す日常も

「神事」

そのものである

 

いずれにしても

脳が要求する刺激に応えるかたちでの「社会」であり

「芸能界」であり

「芸術」でしかない






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