2023年9月20日水曜日

このわずかな窓開けの行為が

 

 

 

エレベーターホールは

東側と南側の二面に窓があって

見晴らしがいいが

窓は閉め切られているので

夏場はひじょうに暑い

しかもホールにはエアコンがない

 

ホールから出れば

屋外に開け放たれた廊下になっているので

戸外の空気が入ってくるのだが

日の照りつける夏場は空気が動かず

ひじょうに暑い

 

開けようと思えば

窓は開けられるのだが

管理人たちがなぜか

窓を開けるな

と貼り紙している

 

窓を開けっぱなしにしておけば

雨が吹き込んだりして

掃除の手間が増えるから

そんな貼り紙をしているのだろうが

夏場の雨の降っていない日中など

適宜窓を開けるぐらいの融通は

きかしてもいいはずだろう

 

以前はけっこう窓を開けて

空気を入れ換える住人がいたものだが

引っ越しで住人があちこちかわったためか

いまの住人たちはやけに従順になってしまった

 

ぼくもいまはほとんど窓を開けない

いつのまにかぼくも飼い慣らされてしまっている

かんかん照りの夏の日中にエレベーターを待ちながら

窓をひとつも開けずに従順に暑い空気の中にいたりする

情けない精神の死体に成り切ってしまったものだと思う

 

たとえば目と鼻の先の郵便局に行くとか

間近のクリーニング店に行ってくるとか

地下のゴミ捨て場にゴミを出しに行ってすぐ戻ってくるとか

そんなほんのわずかの用事で外に出てすぐ返ってくるような時

暑く照りつけることの連日続いたこの夏

ぼくはわずかの抵抗として窓をすこし開けていくことにした

ほんの10センチ開けるだけでエレベーターホールは

別世界のように涼しくなりさわやかになって

窓というものがどれほど人間に必要かが痛感された

 

じぶんの住む階に戻ってきてエレベーターホールに出ると

開けておいた窓をすぐに閉めるのだが

このわずかな窓開けの行為がなんだかぼくには

世界へのずいぶん大きな働きかけをしたように感じられた

 

ひょっとしたらぼくが戻ってくる前に

だれかべつの人が窓の開いているのに気づいたが

わざと閉めないままにしてエレベーターで下りていったかもしれな

あるいは逆にエレベーターで上ってきたが

やはりわざと窓を閉めないまま自宅へ戻っていったかもしれない

そうなるとぼくの開窓行為は暗々裏に他者に共有されたことになり

わずか10センチ窓を開けるという世界への働きかけは

さらに大きなものになっていったことになるのではないか?

 

はたして

今年のあれらの夏の日々

ぼくが戻ってくる前に

エレベーターホールの窓が開いているのに気づいた人がいたか?

気づいたのに

わざと閉めないままにして

エレベーターで下りていった人はいたか?

あるいは逆に

エレベーターで上ってきて

エレベーターホールの窓が開いているのに気づいたが

やはり

わざと窓を閉めないまま

自宅へ戻っていった人はいたか?






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