『愛と死をみつめて』(1964)や
『ある愛の詩』(1970)などを思い出すまでもなく
韓国映画『最初の恋、最後の恋人』(2021)は
主人公の不治の病をモチーフにしたごくごくありきたりのドラマで
途中見ているのがもたれてしょうがないが
映画というもののつねとして
いいアイデアや映像が埋め込まれているところもあるので
つける星を
ふたつにするか
みっつにするか
迷う必要もなく放置しておけばよい
ハッシュタグをつけるとすれば
#キム・ドンジュン
#ボーイズグループ「ZE:A」
#キム・ジェギョン
#ガールズグループ「RAINBOW」
#キム・ジョンミン監督
#高校の同級生
#友達以上恋人未満
#不治の病
#末期ガン
#余命宣告
#ガン再発
#アルツハイマー病
#双方それぞれが病気を抱える
#悲恋
#若者
#再会
#ケーキ職人
#やさしく見守る友人たち
#学生生活の思い出
#楽しかった瞬間の思い出
などなど
となるだろうか
これらをザッと見て想像される雰囲気を
まずは
というか
まったく出てはいない
高校時代の同級生どうしで
高校の時にふざけてキスをしてみたりした程度の
どこまでも恋人未満の友だちの男女のうち
会社勤めの女性はガンの再発の問題を抱え
ケーキ職人になった男性は進行していくアルツハイマー病を抱え
こんなふたりがつき合うことにしたらどうなるか
やはり想像される通りでした
というお話で
これといった新味はまったくないし
意外性もない
だから悪いというわけでもないのが物語や小説や映画というものだ
見る側としては
次はパーッとしたアクション映画でもやっぱり見るかな
などと思ってしまう
ただ
個人的には
ちょっと気づかされたことがあった
アルツハイマー病や認知症は
じぶんが罹っていなかったり
身近に患者がいなかったりするとピンと来ないが
じつは
あらゆる人間ぜんぶに当てはまる症状なのではないか
ということ
子どもの頃から
どうにも馴染めず
ふしぎにも思い
理解できないできたのだが
この世に生きている人たちというのは
じぶんがどこから来たのか
死んだらどこへ行くのか
ぜんぜん知っていない人だらけだし
どこから来たのか知ろうとする人もほとんどいないし
死んだらどこへ行くのかも知ろうとしない人だらけで
まずはこの点で
この世のほとんどの人たちと仲良くなるのを
ぼくの場合は完全にやめたのだった
『最初の恋、最後の恋人』という映画では
ぽつぽつと出てきて
だんだんひどくなっていく
主人公の男性のアルツハイマー病の症状を見せられるので
アルツハイマー病というものの発症構造のデフォルトのようなもの
だんだんとこちらにもわかってくる
じぶんがどこから来ていま此処にいるのか
この後じぶんはどこへ行くのだったか
などなどがわからなくなることも頻繁に起こってくるわけだが
これって
この世でふつうに生きている人たちのデフォルト状態じゃないか
とあらためて気づかされた
この世のほとんどの人たちは
この世という限定された小さな舞台の
いまとその前後の数年や数十年という時間設定のあいだ
だいたいはその時期の自国語か
せいぜい数カ国語の文法語法構造の中に隔離され
そこをもっと自主的に拡張するにしても
チョムスキー的な生成文法でカバーできる範囲の言語構造の中での
感覚し認識し判断し思考しアウトプットする程度のこと
そうした認識や行為の外部には
まったく出ることはできず
真の意味でのメタ観察もできず
やがて肉体の耐久年数が尽きて意識の消滅を迎える
アルツハイマー病や認知症の人は
本人の意識の内部には
本人なりに
感覚し認識し判断し思考しアウトプットする文法語法構造を持って
それにしたがって生きているわけだから
巨視的にみれば
この世のふつうに生きているほとんどの人たちと
なんら変わるところはない
ふつうの人たちのほうが
この世の「ふつう」に特化したロボットとして
より機能的に動けるように訓練されているから
肉体の耐久年数が尽きるまでは
動作上はもっと便利なだけのことだ
『最初の恋、最後の恋人』は
まあ
こんなことを思わされ続ける映画でした
男性俳優のキム・ドンジュンは
けっこうかわいくて
すてきでしたが
(ぼく、ジャニーさんじゃないですけどね)
女性俳優のキム・ジェギョンのほうは
口のすぼめかたとか
ぼくは
あまり好きじゃなかったな
若い女性は
感情表現のために
あんまり
ヘンな口のすぼめかた
しないほうが
いいです
歳をとってから
ヘンな癖が口のまわりに残っちゃいますよ
かつては若かった
そんな
女性たちが
老いていくのも
老いさらばえていくのも
ぼくは
たくさん
見てきました
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