2023年9月26日火曜日

たった数人

 


 

詩歌を書くひとたちと

つき合いが

けっこう

あった時期もある

 

痛々しかった

 

じぶんが書くものが

すぐに

しっかり

読まれるのを望んでいるひとが

ほんとに多かった

 

痛々しかった

 

すぐに

しっかり

ひとに読まれるのなど

望んだりしたら

じぶんが書きたいことを

じぶんが好きなように

さらには

じぶんの好き嫌いもはるかに超越した

じぶんにもわからないもの

としての詩歌など

とてもではないが

書き続けられるものではない

 

だれか

ひとりでも

他人が書けるようなものを書くのなら

詩歌に価値はないが

そういう詩歌は

だれ

ひとり

共感も理解もしてくれない

ものになる

可能性が

ひじょうに高い

 

詩歌は

共感や理解をしてくれる

たった数人にむけて

だけ

つねに

書かれている

 

たった数人にむけて

 

しかも

数千年の長い歳月のなかでの

たった数人

 

じぶんが書くものが

すぐに

しっかり

読まれるのを望んでいるひとは

青年期から中年期に

移るにつれて

書かなくなってゆき

中年期から老年期に入る頃に

かならず

まったく

書かなくなる

 

人生

いろいろ


だが


中年期から老年期にこそ

さらには

老年期から超老年期にこそ

書くべきこと

書いてもらいたいことが

ほんとうは

いっぱいになる

若い頃のへんな気負いや

目立ちたがりも消えて

その頃には

なにを言おうと

いい旨みがことばのはしばしに

にじみ出す

老馬老豚老牛老鶏からでも

味のある

出汁が出てくる

 

書けよ!

 

書き続けろよ!

 

老いびとよ!

 

老いさらばえた人びとよ!







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