眠りは死である
生きているという経験をしたいのなら
眠ってはいけない
こんなことを言えば
健康学や
医学の見地からは
もちろん愚かにしか見えない
眠りは健康を支える基盤であり
覚醒時の活動パフォーマンスのレベルを高める
必須の要素だから
しかし
生まれて成長した人間が生きていることの
窮極の意義を
巷に溢れるチープな人生価値論の説くように
もし地上での活動経験や
一社会での地位や財の獲得や
動物のような生殖活動や
趣味や趣向への没入などに見出すならば
眠っている時間は必要悪の損失時間ということになるので
全力を尽くして
可能なかぎり削っていかないといけない
という理屈に
どうしても至っていく
眠りを
それ自体での固有の意義ある経験として捉えるためには
社会的活動だけでなく
地上での生存や存在自体にこそ
最重要の意義がある
という価値観に転換していかないといけない
ただ在る
意識がなくても在る
肉体的に呼吸をしている
血液が流れており
さまざまな生体反応が起こり続けている
それだけで価値がある
そういう見方や
価値観の定め方を全的に受け入れないと
眠りの価値は
根本からは認められない
そういう価値観が定まれば
意識を失って寝たきりになっているひとの生きようの
価値なども
しっかり定まってくる
認知症が進んで
じぶんがだれかもわからなくなったひとの存在も
それだけで
価値がある
と
なってくる
だから
逆説的に
眠りは死である
と
言っておきたくなるのだ
この偏狭な人界では
逆説を
進めておこう
覚醒時の活動もまた死である
と
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