「ふつうの人が気づかない
こんな見方もあるのだ
と教えてくれます…」
といった評価のしかたが
ときどき
芸術だの文芸だのの説明に散見されて
いやだナ…
とか
あほらし…
とか
よく思う
だいたい
ふつうの人って
どういう人だろう?
芸術家や文芸家が
ふつうの人でないとでも
いうのだろうか?
なにか
ひとつのものがあれば
それについて
何通りもの見方があるのがあたりまえで
こんなこと
だれでも知っている
芸術家や文芸家や
思想家や宗教家でなくても
だれでも知っている
仏教の唯識には
一水四見
という言葉があって
同じものには何通りもの見方がある
と
むかしから
あたりまえに教えている
人間が河を見れば水だと思うが
天人が河を見れば歩くことのできる水晶の床だと思う
魚が河を見れば住処だと思い
餓鬼の場合は
そこで喉の渇きを癒やそうにも
炎が燃え立って飲むに飲めない血膿で充満した流れ
と見えてしまう
見る者のありようの違いや
立場の違い
霊的状態の違い
さらには宿命の違いによって
河の水さえ
このように違って見える
と教えている
これにくわえて
生きている環境が同じでも
人によって見え方や感じ方がまったく違うと教える
一境四心
という言葉もあれば
一処四見
という言葉もある
仏教が言う
一水四見
でさえ
なにをいまさら
という
あたりまえの話だが
それでも
「はい、一水四見ですね」
と一刀両断に
世間の
「新しい見方を発見したよ、どう?すごいでしょ?」ぶりや
「ふつうの人が気づかないこんな見方もある」
切り捨てる刀を貸してくれるのは
なかなか
便利
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