ひとり灯のもとに文をひろげて
見ぬ世の人を友とするぞ
こよなうなぐさむわざなる
『徒然草』第十三段
だれであれ
気ごころの知れたひとたちと
茶を飲みながら
酒を飲みながら
だいたいのところでうなずき合えるような話を
ぽつぽつと語りあったりするのは
楽しいものだろう
わたしには
むかしの仏典を書いたたくさんの悪友たちがいて
連中ときたら
朝であれ日中であれ暮れがたであれ
時間もわきまえずに
勝手に出没しては
かつて連中が書き残していった言葉を
あれやこれや
ぽつぽつと唱え直したり
つぶやいたりしていく
連中とちがって
わたしのほうときたら
たまたま
現世の肉体に乗って
物質界のしちめんどくさい雑事に揉まれている最中
というのに
こちらの事情など
いっさい
気にもせずに
まったく
あいつらときたら
まあ
そういうのを聞いてやるのも
つきあいというものか
と思い
現世に向けては
しばらくぼんやりした顔を晒したりしながら
耳を貸したりしている
『大般涅槃経(だいはつねはんきょう)』〔北本〕
書いたやつなんか
こんなふうにつぶやく
これは寿命品一の二十一
この世間で生じたものは
みな必ず滅んでいく
たとえいのちが計り知れないほどあっても
必ず尽きてしまう
いま盛んだといったところで
必ず滅んでしまう
ひとに会うと
必ずわかれが来る
元気な年代は
いつまでも続かない
いま健康だといっても
いつかは
病に冒される
いのちは死に呑まれていき
ものは恒久ではない
王が自在の権力を得て並ぶ者がいない地位に就いたところで
不動でいられるものではない
寿命も同じことだろう?
車輪の回転に区切りがないように
世間の苦しみは
くり返し続けて終わりがない
この迷いの世界が永続することはなく
存在する者に安楽はない
流転するものの中身と形相は空虚だ
壊れるものは流転し
いつも憂いと思いとに満ちていて
怖れもあれば
過ちもある
老いと
病と
死と
そして
衰えがあるばかり
これらばかりは無限
壊れ
そして
また変わっていく
恨まれ
煩悩につきまとわれるのは
蚕が
繭に囲われるのに似ている
こんな世間を
智慧ある者なら
いったい
誰が楽しめるというのだろう?
ものの終わりや
わかれについて書くのは
『賓頭盧説法経(びんずるせっぽうきょう)』を記したやつが
得意としたところ
いろいろな比喩を用いて
後から後から
むなしさを語り続けた
夢のようだ
世間の
栄華や名誉や地位
というものは
人の恩愛さえ
しばしのものに
すぎない
栄華や名誉や地位や恩愛とは
かならず
わかれの時が来る
たとえば
夜
多くの鳥が木に止まりに来るが
朝には
四散して行ってしまうように
多くの乗客を乗せた船だったのに
彼岸に着くや
乗客たちはみな
船を去っていくように
浮き雲が
見る見るうちに
消え去っていくように
音楽堂に集まり
音楽を楽しんだはずの男女だったのに
終わると
さっさと帰って行ってしまうように
満開の草花に
蜂たちは雲集するのに
花がしぼむと
みな遠ざかっていってしまうように
池に渡り鳥が集まって
騒々しいほどだったのに
水が涸れると
どの鳥も
近づかなくなってしまうように
雲が密集すれば
雷がなって
稲妻も走ったりするのに
雲が散ってしまうと
もう
生じなくなってしまうように
無憂華(アショカ)が満開になると
人は楽しんで見るが
花がしぼんでしまうと
もう
だれも顧みなくなるように
いきいきした花で編まれた
花輪は
ひとびとの首にかけられるが
しおれると
捨てられてしまうように
『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』を書いたやつも
なかなか
うまく言っていたものだった
旧約聖書なみの
なかなかの
迫力あるくり返しをして
たぶん
歌にしたかったんじゃないかな
仏陀がガヤーの町外れの象頭山の頂で
千人の弟子たちに説法した時
世間を火事場に喩えて
こう切り出したという設定で
書いた
「燃焼」の章は
いまでも
ちょっとは有名で
仏典など見たこともない凡人たちの
巷のおしゃべりにも
ときどき
混じってきたりする
よく見るがよい
下界は燃えている
下界の者たちは
感覚の快楽にふけり
物質の快楽にふけり
三毒の火がついて
おのれの
身もこころも
燃えている
彼らを取り巻くものさえ
燃えている
欲望に火がつき
その火に追いまわされ
背中に火を負って
転げまわり
逃げまわっている
眼が燃えている
眼の欲望が燃えている
耳が燃えている
耳の欲望が燃えている
鼻が燃えている
鼻の欲望が燃えている
舌が燃えている
舌の欲望が燃えている
身が燃えている
身の欲望が燃えている
心が燃えている
心の欲望が燃えている
ひとのすべての欲望に火がついて
燃えている
お経とか
経典とか
説法なんて呼ぶからいけないし
それも
今となってはあまりにわかりづらい
漢字の音読みで読み上げたりするものだから
よけいに縁遠い
かたっ苦しいものに受け取られてしまうのだが
連中が書き残したものの
大半は
ほんとにこの世はしょうがないもんじゃ
ほんとに人間ってのはしょうがないもんじゃ
ほんとに生老病死の地上は
むなしいもんじゃ
と
どこまでもくだくだ言い続ける
くりごとの連続
居酒屋談義
という言いかたがあるが
まことに
ほとんどの仏典は
仏典談義とでもいうべき
しょうもない
くりごとの連続
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