2023年12月21日木曜日

時さればみな幻想は消えゆかん

 

 


小津安二郎の映画『東京の合唱』(1931)について説明する中で

映画の主人公を演じる岡田時彦に触れながら

若いひとたちにむけて

こんなふうにつけ加えておいた

 

 

 主人公役の岡田時彦は、当時大人気を誇ったイケメン俳優でしたが、この映画の3年後に30歳の若さで急死しました。

 そういえば、数年前に亡くなった三浦春馬も30歳でした。岡田時彦の死も、当時は衝撃的に受け止められました。

 逆の見方をすれば、その時代にどんなに有名だった俳優も、どんなに騒がれた出来事も、あえて資料を調べでもしないかぎり、数十年もすればもう誰も覚えていないように忘れられていくのが、人間の世の中というものです。

 数年前に亡くなった三浦春馬や竹内結子の死も、よほどのファンでなければ、もう思い出さなくなっていませんか?

   人の死はこういうものです。恐ろしいほどの速さで、どんどん忘れられていきます。

 後から後から出てくる出来事や事件などが、どんどんと「今」の出来事や事件を忘却させていくのが、この世というタイムラインの性質で、誰もここから逃れることはできません。

 他人や世間に自分を見せようとして生きることの無意味さは、ここから“論理的に”証明できる、といってもいいでしょう。

 

 

その時代のひとの目に多く触れる俳優たちでさえ

すぐにも忘れられていく

ましてや

世間一般のひとびとをや

 

若いひとたちは

こういったことがわからな過ぎるから

などと思って

こんなことを話しておくのではない

 

いまの若いひとのほうが

よほど

こうした無常を感得するセンスを多く持っている

数十年前の日本人と違って

この世は無常で

すべてはすぐに消えて行ってしまうと

奇妙なほど

ものわかりがいいひとが多い

 

年長者たちは

こういう若いひとたちを見て

日本の活力の衰えに結びつけがちなのだが

戦後の何層かの世代たちが

ただ愚かにはしゃいで

アメリカ型の消費社会を醜く回転させていただけだったことは

いまの若いひとたちには

ひとしく

嗅ぎ取られてしまっている

 

朔太郎の

無理なくよみがえるべき

時代が

来ている

 


 

廣瀬川    萩原朔太郎


廣瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼にもとまらず。

 

 

 




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