小津安二郎の映画『東京の合唱』(1931)
映画の主人公を演じる岡田時彦に触れながら
若いひとたちにむけて
こんなふうにつけ加えておいた
主人公役の岡田時彦は、
そういえば、数年前に亡くなった三浦春馬も30歳でした。
逆の見方をすれば、その時代にどんなに有名だった俳優も、
数年前に亡くなった三浦春馬や竹内結子の死も、
人の死はこういうものです。恐ろしいほどの速さで、
後から後から出てくる出来事や事件などが、どんどんと「今」
他人や世間に自分を見せようとして生きることの無意味さは、
その時代のひとの目に多く触れる俳優たちでさえ
すぐにも忘れられていく
ましてや
世間一般のひとびとをや
若いひとたちは
こういったことがわからな過ぎるから
などと思って
こんなことを話しておくのではない
いまの若いひとのほうが
よほど
こうした無常を感得するセンスを多く持っている
数十年前の日本人と違って
この世は無常で
すべてはすぐに消えて行ってしまうと
奇妙なほど
ものわかりがいいひとが多い
年長者たちは
こういう若いひとたちを見て
日本の活力の衰えに結びつけがちなのだが
戦後の何層かの世代たちが
ただ愚かにはしゃいで
アメリカ型の消費社会を醜く回転させていただけだったことは
いまの若いひとたちには
ひとしく
嗅ぎ取られてしまっている
朔太郎の
無理なくよみがえるべき
時代が
来ている
廣瀬川 萩原朔太郎
廣瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼にもとまらず。
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