昭和16年から20年までの
あの大平洋戦争で
死んでいった日本の若者たちのことを
うっかりと
昭和の若者たちだなどと
思い込んでしまいがちになり
そこで
いわゆる
思考停止に陥りがちにもなってしまうのだが
満20歳で徴兵検査を受け
40歳までは予備・後備・国民兵などを強いられたのを思えば
戦いの場に出されて死んでいったのは
当然ながら
大正生れの人びとが主だったことになる
そこに
明治36年以降に出生した人びとも
混じった
昭和18年に徴兵年齢が19歳に引き下げられ
上は45歳まで引き上げられたが
その場合でも
もっとも元気な大正時代生まれを中心として
明治33年以降に出生した人びとが
戦場に引き出されたことになる
大ざっぱに見て
戦場で死んでいったのは
最年長でも
明治時代の終わりを12歳で経験した人びとであり
大正時代が15年で終わる1926年に
4歳から27歳の年齢に達していた人びとだった
いわゆる大正デモクラシーの時代
とされる大正時代は
政党の名をふり返ると
まるで令和時代のようにも思ってしまうが
立憲国民党
立憲政友会
立憲同志会
憲政会
革新倶楽部
などが並んでいく……
大正デモクラシーの時代の
文化的進展や成果を
幼時期から20代終わりまでの若さで吸収していた人びとを
根こそぎにして
死滅させていく事業が
少なくとも
大平洋戦争だった
これに対して
1926年12月25日から始まる昭和元年に生まれた人びとは
終戦の1945年8月15日時点では
最年長でも18歳なので
戦場には行かないで済んでいる
1945年8月16日から始まる戦後は
大正時代を中心とする若者が多く死滅した後に
昭和時代生まれの若者たちだけが活動するようになった
ひと世代上やふた世代上の先輩を失った時代となった
思えば思うほどに
巨大な断層と間隙が発生したわけで
明治時代以降の
近代日本の継続性の存在などというものは
簡単に認めうるようなものでは
まったくない
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