2023年12月6日水曜日

大正時代を中心とする若者が多く死滅した後に

 

 

 

昭和16年から20年までの

あの大平洋戦争で

死んでいった日本の若者たちのことを

うっかりと

昭和の若者たちだなどと

思い込んでしまいがちになり

そこで

いわゆる

思考停止に陥りがちにもなってしまうのだが

満20歳で徴兵検査を受け

40歳までは予備・後備・国民兵などを強いられたのを思えば

戦いの場に出されて死んでいったのは

当然ながら

大正生れの人びとが主だったことになる

そこに

明治36年以降に出生した人びとも

混じった

 

昭和18年に徴兵年齢が19歳に引き下げられ

上は45歳まで引き上げられたが

その場合でも

もっとも元気な大正時代生まれを中心として

明治33年以降に出生した人びとが

戦場に引き出されたことになる

 

大ざっぱに見て

戦場で死んでいったのは

最年長でも

明治時代の終わりを12歳で経験した人びとであり

大正時代が15年で終わる1926年に

4歳から27歳の年齢に達していた人びとだった

 

いわゆる大正デモクラシーの時代

とされる大正時代は

政党の名をふり返ると

まるで令和時代のようにも思ってしまうが

立憲国民党

立憲政友会

立憲同志会

憲政会

革新倶楽部

などが並んでいく……

 

大正デモクラシーの時代の

文化的進展や成果を

幼時期から20代終わりまでの若さで吸収していた人びとを

根こそぎにして

死滅させていく事業が

少なくとも

大平洋戦争だった

 

これに対して

19261225日から始まる昭和元年に生まれた人びとは

終戦の1945815日時点では

最年長でも18歳なので

戦場には行かないで済んでいる

 

1945816日から始まる戦後は

大正時代を中心とする若者が多く死滅した後に

昭和時代生まれの若者たちだけが活動するようになった

ひと世代上やふた世代上の先輩を失った時代となった

 

思えば思うほどに

巨大な断層と間隙が発生したわけで

明治時代以降の

近代日本の継続性の存在などというものは

簡単に認めうるようなものでは

まったくない

 

 




0 件のコメント:

コメントを投稿