2023年12月6日水曜日

「ひとりか…」


 

心の友は稀なるものなり。

『葉隠』

 

 



小津安二郎の最後の映画『秋刀魚の味』(1962)では

娘の結婚式の帰り

バーに寄った平山周平(笠智衆)に

岸田今日子演じるママが

「今日はどちらからお帰り? お葬式ですか?」と聞く

周平は「まあ、そんなもんだよ」と答える

 

娘の結婚は嬉しいことであるはずだが

周平はこの時

ずいぶんはっきりと寂しさを見せている

 

周平は

この時は

ママが軍艦マーチをかけるのを

受け入れる

 

周平の心の中で

軍艦マーチが人生観と深く複雑に絡まり合っていることが

この場面からはわかってくる

 

YouTubeの軍艦マーチ(軍艦行進曲)を

ここで聴き直しておこう

当時の連合艦隊を実写した映像が使われているヴァージョンだが

現代の技術で

当時のものに近い色彩も付けられている

 

https://www.youtube.com/watch?v=A75AQgDBtJI

 

https://www.youtube.com/watch?v=ZaRcWUsWGoQ

 

 

2023年ともなれば

こういう映像を

再三見直しておかないといけない

 

戦中のことなどわかる

想像できる

想像でほぼわかる

そう思っても

実際の映像や写真を見て受ける情報量と

それらの情報量が意識内イメージを形成する力は

思う以上のもので

もし見る機会が容易に得られるのなら

面倒がらずに見ておかないといけない

見る前と見た後では

認識が激変するからだ

 

父である周平が海軍士官として実際に体験し続けた情景を

こうした映像の助けを借りながらでも

ある程度想像し直す努力をし続けないといけない

おそらく

海軍兵学校を出て海軍の士官となった周平は

青年時代から40歳頃まで

こういう環境の中だけで生きてきたはずだったのだ

 

この映像に見られる連合艦隊の多くの軍艦は

1945年の敗戦時には

ほぼ全滅して海中に没してしまっている

上位の士官たちは

軍艦とともに死ぬのが慣例だったので

これらの映像に映っている人びとも

多くが海の藻屑となっていったはずだろう

海軍の若い兵士たちの多くも戦死し

これらの軍隊のシステムを維持していた制度も

全壊して滅んだ

 

すべて消滅してしまった

巨大な鉄と技術と人間の労力の塊である連合艦隊の軍艦の群れを

実際に映像で見てみると

敗戦という巨大な物質的喪失が

現代でもいくらかは

実感を少しはともなって

想像しやすくなるのではないか

 

海軍以外の

陸軍や国内の様子を伝える映像を多く使って編集されている

『出征兵士を送る歌』のYouTube動画も

この機会に見ておきたい

https://www.youtube.com/watch?v=UD9jYcR_v0w

 

出征兵士を送る歌 (レアバージョン) 歌詞字幕(CC)付き [日本軍歌 60FPS・FHD] Songs for Soldiers Going to War - YouTube

 

 

太平洋戦争中のこうした雰囲気の中を実際に生きて

なおかつ今でも記憶している日本人は

現在の82歳や83歳以上の人たちだけになっているだろう

短い映像であっても

現在の日本人が見ておくことは

非常に重要だと思われる

 

中国大陸での戦争の光景の映像もあるが

小津安二郎自身が

こういう中で兵隊として参加していたことを思い出しつつ

小津安二郎の戦後のすべての映画を見る必要がある

 

 

          *

 

 

バーにいて飲んでいた他の客が

軍艦マーチを聞いて

戦争中の攻撃命令を模してしゃべる

 

しかし

「負けました」とすぐに言って

一場の笑いネタにしてしまう

 

それをかたわらで聞いている周平は

一個の歯車だったとはいえ

戦争に「負け」た張本人の側の海軍士官だったわけで

過去になった出来事とはいえ

太平洋戦争に対しても立場が全く違う

 

青年時代の人生を賭けた事業だった戦争はすでに終わり

娘を育てることも終わって

人生の主な仕事が終わってしまった周平が

軍艦マーチを聞きながら

妻に似た雰囲気もないではないバーのママの近くで

ひとりでストレートのウィスキーを飲んでいる

 

こうした諸要素や諸テーマの合成が

『秋刀魚の味』という創作物の厚みを作りあげていく

 

バーのガラスドアが赤くなっていて

小津の好んだ色を大きな面積で出してきてもいる

 

 

          *

 

 

しばらくして

周平が家に帰ると

佐田啓二演じる長男が

「よかったですね」と路子の結婚について言う

 

家族であっても

周平とは全く違った

「結婚式=おめでたい=よい」という公式的な考えで済ましてしまう

長男たちに

父である周平は

心の底の思いを分かちあえないことを確認する

 

「結婚式=おめでたい=よい」という公式的な考えに対しては

「よかったよ」と応じる他にはない

 

言葉の上でのコミュニケ―ションが完全に崩壊していて

ディスコミュニケーションになってしまう瞬間を捉えた場面である

 

社会のたいていの場面は

こうした表面上の偽コミュニケーションと

現実のディスコミュニケーションで

成り立っている

 

こうして見る時

昔の漢文の先生の「ひょうたん」が体現している

人間はどう生きても孤独だという真理が

この場面にも繋がってくる

 

 

          *

 

 

映画の終わりでは

今までは姉に頼りきりだった次男が

父の心配をするようになってくる

 

心の中の孤独を

今までよりも強く感じるようになった周平は

軍艦マーチをひとりで歌う

 

家族にも理解されない孤独と

これから戦っていかなければならない時にあたって

心を支えるものは

戦争中の軍艦出港時に演奏されるのがつねだった

軍艦マーチのメロディーであり

歌詞でしかない

 

「何言ってんだ。ほんとにもう寝ろよ」

と父に言う次男の言葉は

戦争中の雰囲気や軍歌を支えにして生き続けている父の世代に対し

「もう寝ろよ」

と言っているかのようでもある

 

軍艦マーチの

ちょっとコミカルにした演奏が軽さを出している終幕だが

家の中の人のいない風景の提示や

「ひとりか…」という呟きなどから

これから孤独な心を生きていかなければならない周平の

未来が暗示される

音楽も

軍艦マーチからしっとりしたものに変わり

ひとりで台所で茶を飲んで座る周平の姿に

映画のイメージを収斂していく

 

 最後の平山周平の姿は

『東京物語』でひとりきりになる老父を容易に思い出させるし

『晩春』の父の姿も思い出させる

 

 『東京物語』の老父の名は平山周吉

『晩春』の父の名は曾宮周吉

ついでに言えば

小津の他の名作『彼岸花』の父の名は平山渉だったのが

もちろん

思い出されるが

『彼岸花』の平山渉以外は

全員

妻を失って

娘のことを気にかけながら生きてきていた

 

これら

よく似た

というより

ほとんど同じ名前を父たちにつけながら

小津安二郎が描いてきたのは

まずは

戦中を生きてきた日本の男たちの

戦後における圧倒的な心の孤独だったのだろう

 

娘が結婚して自分から離れていくということよりも

自分の育てた子供たちとの

心の深いコミュニケーションさえもが奪われていく

ということのほうに

重点を置いて見るべきかもしれない

 

離れていく娘とだけ

わずかに心の底では理解が通じ合っている

とも見ておくべきかもしれない 






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