2024年1月26日金曜日

来るべき災害の予約

 

 

 

横光君 

僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく。

川端康成 横光利一への弔辞

 

 

 

 

もはや人間は

これまでのような暮らし方を続けるべきではない

電気やガスや水道やネットを必ず使ってこその現代生活ならば

地震などのどんな災害が起こっても

災害による破損と復旧もあらかじめセットにした仕組みを準備して

それを生活環境として

住まいも村も町も作り上げないといけない

災害による破損と復旧をセットに組み込まず

ただインフラを準備するだけだったり

ただ家を建てるだけだったりする生活のしかたは

考え方を根本から改めないといけない

 

ごくごく

まともに考えようとすれば

誰が考えても

同じ結論に達する

 

大きな地震の起きた場所を

下手に急いで

復興

などすべきではない

 

今後も

数百年にわたって

大きな地震が起きていく場所なのだ

 

これまでと同じような家の建て方や

同じような道の作り方

同じような各種配管の通し方をくり返そうとするのは

次の災害を大きくするばかり

また人が死に

また人が怪我をし

また水のない生活をながく強いられ

また便利なトイレのない日々が強いられる

 

同じ規模の地震がまた来ても

水道管も壊れず

壊れたとしてもすぐに取り替えられるようなしくみにして

家が倒壊することもなく

壊れても一週間後には元通りにできるような作り方にして

道も地震後のその日のうちに

すぐに使えるようになるようなものにして

復興

はすべきだろう

 

水道管も

ガス管も

電線も

道路の下に埋め込まず

ポンピドゥーセンターのように外に出しておく風景を想像する

地震や地崩れですぐに破損するようなものは

あらかじめ取り替えの容易な設置のしかたをしておき

材料も豊富なら

工事も容易な設計をしておくべきだろう

 

関東大震災が起きた後

せっかく災害により強い都市作りをするチャンスが来たというのに

東京は中途半端な計画で

復興の名の下に

どんどんと無軌道に再建築を始めてしまった

横光利一は

それを「災害の予約」と呼んだ

人々は

「再びその上に来るべき災害の予約を建設し始めた」

と批判した

 

批判されても

日本人は

なあに

次の大災害が来るまでには

われわれは

もう死んでいるさ

と答える

横光利一は

そうも批判している

 

彼は

ここに日本人の本質を見

近代人の本質を見

最大の敵の所在を見つけた

 

彼らは互に次の恐怖時代を云い合うとき、

一様に彼らの口から流れる言葉は定まっていた。

「何(なあ)に、我々は最早やそのときは死んでいる。」と。

―――我らの民族の永久に繰り返して行く言葉は、

この恐るべき功利の言葉に相違ない。

そうして、この言葉が新鮮な力をもって

繰り返されれば繰り返されるにしたがって、

かく災害を大ならしめた科学と、自然の闘いは

益々猛烈になるであろう。

吾々を負かすものは地震ではない。

それは功利から産れた文化である。

我々の敵は国外にはない。

恐るべき敵は本能寺に潜んでいる。

 

これは

横光利一が書いた「震災」の一部分である

関東大震災直後に執筆して

大正121923)年11月の「文藝春秋」に発表し

さらに

「書方草紙(昭和6年)」に収録した

この文章を

もう少し広く

読み直しておこう

 

 

地震があると等しく、直ちにこういう地震があって良いとか悪かったとか直ぐに云われた。あっていいとは云いたい人があっても云わぬがよい。この災厄に逢った人々に災難だと思ってあきらめるが良いと云うのは陳腐である。彼らは心に受けた恐怖に対して報酬を待っている。生涯を通じてこれが稀有な災厄であったそれだけに、何物かに報酬を求めねばいられないのだ。彼らは彼ら自身の恐怖を物語るとき、追想と共に生涯誇らかになるであろう。

東京附近に住んでいたものなら、こう云う地震がいづれ近々来るにちがいないとは、誰しも予想していたことと思われる。しかし人々は不思議にその災厄の予想については一様にぼんやりとしていた。地震に逢って初めて、こう云う地震はもう必ず来るに定まっていると思っていたと云い出し思い出した。それが皆尽(ことごと)く偽(いつわり)ならぬ心から云い出したそれほども、この地震の来るということが、ぼんやりとしながらも尚且つ明瞭に感じられた。それにも拘らず、なぜこの災害をこれほど大きくして了ったか。それは一口の平凡な言葉で云い切ることが出来る。

「人間はあまりに功利であったが故に。人々は大声を発して警告し合う暇を忘れていた。」と。

もし人々にしてその暇を有っていたものがあったとすれば、損をするものは同時にそのものであるのを忘れなかった。その暇に、地震が地下で着々と予感を報じながらその週期(原文ママ)を満していた。一度週期が満ちると同時に、人々は、恰(あたか)も次の週期に満足を与えんとするかのごとく、直ちに再びその上に来るべき災害の予約を建設し始めた。そうして、彼らは互に次の恐怖時代を云い合うとき、一様に彼らの口から流れる言葉は定まっていた。

「何(なあ)に、我々は最早やそのときは死んでいる。」と。

―――我らの民族の永久に繰り返して行く言葉は、この恐るべき功利の言葉に相違ない。そうして、この言葉が新鮮な力をもって繰り返されれば繰り返されるにしたがって、かく災害のを大ならしめた科学と、自然の闘いは益々猛烈になるであろう。吾々を負かすものは地震ではない。それは功利から産れた文化である。我々の敵は国外にはない。恐るべき敵は本能寺に潜んでいる。

 

 

 





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