イエスが教えた愛は
ギリシア語ではアガペンで
これは
感情や気持ちに左右されない原則にもとづいての
差異化の完全否定のこと
アガペンは
人間社会にあって
自然に湧き起こる感情の征服も
意味する
したがって
もちろん
エロース(恋愛)とは違うし
フィリア(友情)とも違うし
ストルゲー(家族愛)とも違う
社会は
どのような場合でも
いつの時代でも
差異化によってのみ
構築され
維持されている
イエスのアガペンは
あらゆる社会に対する否定であり
ここに
例外が入り込む可能性はない
「右の頬を打たれたら
左の頬を差し出せ」
向かいあって頬を打ってくる相手が
右利きだった場合
右手でこちらの右頬を打つには
右手の手の甲で打ってくるのを意味する
イエスの時代のユダヤ社会においては
相手への最大の侮辱の表明だった
イエスは
最大の侮辱を受けたことを受け入れよ
と教えている
最大の侮辱を受け入れ流すには
侮辱という意味の発生も
発生根拠も
また
最大かそうでないかという差異の発生も
発生根拠も
瞬時に無化せよ
ということになる
イエスの文化破壊の度合いは
倫理的な理解で測り知れるほど浅薄なものではない
破壊などという
甘い言葉や概念をはるかに超越した
妖怪的なレベルのものだろう
現代においてならば
妖怪になれ!
先行するものすべてを瞬時に無化せよ!
と教えたほうが
わかりがいいかもしれない
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