2024年1月4日木曜日

オッペケペー節


 

 

 

この年末年始は

偶然聞き直した

明治時代の流行歌「オッペケペー節」に

いたく感心して

鼻唄して過ごした

 

https://www.youtube.com/watch?v=PzY_vMTnFLY

 

https://www.youtube.com/watch?v=8TuMWzJd6RM

 

https://www.youtube.com/watch?v=VlnKpZ_M8B8

 

 

詩歌や歌で

もっとも大事なのは批判であり

皮肉であり

腐しであり

いびり倒しだが

われらが祖先は

明治時代より

(もちろん江戸時代より

いや

もっと昔々より)

かかる精神横溢して

見返せば

読み返せば

みごとなものであった

 

うはべの飾りはよいけれど

政治の思想が欠乏だ

天地の真理がわからない

心に自由の種を蒔け

 

などというところ

率直にして

簡明にして

ズバリとして

きわまった表現となっている

 

明治の頃から

日本の悪いところは

ぜんぜん変わっていない

とも

思わせられる

 

歌詞は

そのつど

いろいろ変えて歌われるようだが

基本のヴァージョンは

こんなふうらしい

 

 

権利幸福きらいな人に

自由湯をば飲ましたい

オツペケペ オツペケペツポー ペツポーポー


堅い上下 角とれて

マンテルズボンに 人力車

意気な束髪 ボンネット

貴女に紳士のいでたちで

うはべの飾りはよいけれど

政治の思想が欠乏だ

天地の真理がわからない

心に自由の種を蒔け

オツペケペ オツペケペツポー ペッポーポー

 

米価騰貴の今日に

細民困窮見かえらず

目深にあふた高帽子

金の指輪に金時計

権門貴顕に膝を曲け

芸者たいこに金を蒔き

内には米を倉に積み

同胞兄弟見殺しか

いくら慈悲なき欲心も

あまり非道な薄情な

ただし冥土のお土産か

地獄で閻魔に面会し

わいろ遣うて極楽へ

行けるかへ ゆけないよ

オツペケペ オツペケペツポー ペツポーポー


亭主の職業は知らないが

おつむは当世の束髪で

言葉は開化の漢語で

みそかのことわり亀だいて

不似合だ およしなさい

なんにも知らずに知った顔

むやみに西洋を鼻にかけ

日本酒なんぞは飲まれない

ビールにブランデー ベルモット

腹にも慣れない洋食を

やたらに食うのも負け惜しみ

内緒でこうかで反吐ついて

マジメな顔してコーヒ飲む

おかしいね

ヱラペケペツポ ペツポーポー

 

ままになるなら自由の水で

國のけがれを落したい

オツペケペ オツペケペツポー ペツポーポー

 

婿取り島田に当世髪

ねづみのかたきに違いない

かたまきゾロゾロ引きづらし

舶来もようで立派だね

買う時ァ大層お出しだらう

夏向ァあつくていらないよ

その時ァおつかが

すいりよして

おそでにかくしてひと走り

からくり細工にいてくるよ

おや大きな声では言われない

内證たよ

舞台はけつきやうだ 御免なさい

オツペケペ オツペケペツポ ベツポゝ

 

お妾 嬢さん 後妻に

芝居を見せるは不開化だ

勧善懲悪わからない

色気のところに目を留めて

大事の夫を袖にする

浮気すること必定だ

おためにならない およしなさい

国会を開けたあかつきに

役者にのろけちゃおられない

日本を大事に守りなさい

眉毛のないのがお好きなら

かつたいお色に持なんせ

目玉剥くのがお好きなら

タヌキと添い寝するがよい

オツペケ オツペケベツポ ペツポーポー

 

親が貧すりゃ鈍すの布団

敷きて娘は玉の輿

オツペケペ オツベケペツポ ベツポーポー


娘の肩掛けりッぱだが

とつさんケツトを腰にまき

どちらも御客をのせたがる

娘のころぶを見ならふて

とつさんころんじやいけないよ

オツペケペ オツペケペツポ ペツポーポ

 

洋語をならふて開化ぶり

パンくふばかりが改良でねへ

自由の権利をこうてうし

國威をはるのが急務だよ

知識と知識の比べやい

キョロキョロいたしちや居られない

窮理と発明のさきがけで

異国におとらずやッつけろ

神国名義だ 日本ポー

 

 

現代のひとが

ヒップホップ版にしてみているのも

なかなか合っていて

楽しい

https://www.youtube.com/watch?v=Z38w70lcdh8

 

 

このオッペケペ節で名を馳せた

川上音二郎は

日本に演劇を根付かせようと努力もした

彼は西園寺公望や金子堅太郎の後援を受けてパリに視察に行き

甲武鉄道飯田町駅の近い千代田区神田の三崎町に

川上座を作り

従来の枡席型の劇場から

西洋型の劇場への挑戦を行なった

 

アメリカやロンドンやパリをまわり

サラ・ベルナールにも会っているし

フランスでは大統領から

今の芸術文化勲章にあたる

オフシェー・ド・アカデミー三等勲章も貰っている

 

日本ではじめて

シェイクスピアの『オセロ』 を日本語で上演し

『ハムレット』や『ヴェニスの商人』も上演している

日本近代演劇の祖と呼ばれるのは

こういうところから

 

 

いま

わたしが住んでいるところから

旧川上座跡は近い

川上座だけでなく

三崎座や東京座もあって

三崎三座と呼ばれるが

歴史的な史跡として立て札が立っていて

付近を歩くたびに

そのあたりの雰囲気を

もうちょっと感じようとしたりしてみる

 

明治の時代

わたしの前世は

このあたりに縁があって

よく

このあたりを行き来していた

 

その程度のことは

わかっているのである

長く生きてきて

その程度のことがわからないようでは

永遠に

悟りの時は訪れないだろう






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