元日
たまたま
ヴィーガンのひとがネットにアップした
鶏の写真を見ていた
殺され
解体され
ばらばらにされて
食用になる主な部分以外が
大きなゴミ箱に捨てられている
もみじとも呼ばれる
たくさんの足のなかに
切り落とされた鶏の頭が混じり
目を開いている
目はカメラのレンズを見ている
死んでいるので
見ているはずはないが
目は見開かれており
視線がこちらに向いていると
感じられる
食べる動物を
このように殺し
解体し
ばらばらにしてしまうのを
生存の
生活の
豊かさの
平穏な生の
ベースに組み込んでいる人類は
あるとき急に
じぶんたちが同じようにされても
ひと言の文句も言えまい
ヴィーガンのひとは
そう考えて
写真をアップしているのだろうと
思った
わたしもそう思う
ただ
ヴィーガンのひとと
おそらく違うのは
もう一歩進んで
こんな人類だから
災害も
戦争も
不条理な被害も
すべて
受け入れるほかない
と
思っている点だ
イスラム国が
つぎつぎ首狩りをやって見せたとき
羊の斬首や
鶏の斬首を思い出して
つぶさに映像を見続けたものだが
ああ
これだな
人間があたりまえのこととして
動物たちに
やり続けているのは
と
どうしても
思えた
他の生物に対するふるまいや
自然に対するふるまいは
そのまま
避けようもなく
人類に戻ってくるだろう
戻ってくるので
あって
ほしい
そのまま
避けようもなく
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