2024年2月1日木曜日

友よ 第6歌から読みたまえ

 

 

 

Il a seize ans et quatre mois. Il est beau(........)

comme la rencontre fortuite sur une table de dissection

dune machine à coudre et dun parapluie


Lautréamont  Les Chants de Maldoror  Chant VI, strophe 1

 

 

 

 

秋のうちに植えつけておいた

スイセンやヒヤシンスなどの球根から

ようやく

芽がのぞきはじめて

伸びるつもり

咲くつもり

ある

ようだ

どうやら

 

稀代の大犯罪者が政界から去って

(去らされて…? いやいや、今ごろアレは、

整形手術を終えて、リゾート地で余生を送っているさ)

あれよあれよという間に

大犯罪者の派閥も瓦解させられ

属していた党にも大地震が起きている

 

もちろん

どこもかしこもアウトレイジだけの世界

社会的なあらゆる大地震がそうであるように

見かけ上のものに過ぎず

次の数十年をわがものにしようとする新興の“組”が

既成の“組”崩しをしているだけのことだが

 

昨年に花を咲かせて

枯れた茎を切って

しばらくしてから球根を掘り出し

洗っておいた

あまり立派でない

小さな球根たちから

よくもまあ

こんなに芽吹いてきたものだと

驚かされる

 

 

あ!

 

常識中の常識の名句だが

思い出した!

ロートレアモンの

これを

 

『マルドロールの歌』の中の

これを

 

彼は164ヶ月だ。

彼は美しい……

とりわけ、解剖台の上での

ひとつのミシンとひとつの傘の

偶然の出会いのように

 

(『マルドロールの歌』、第6歌、第1詩節)

 

 

シュールレアリスム以降

これは有名だが

じつは

この一節がある『マルドロールの歌』の第6歌の第1詩節全体のほうが

はるかに面白いのだよ

 

せっかく『マルドロールの歌』を読み出したのに

中断してしまう読者が多い

1歌や第2歌より

それ以降の歌のほうがピンと来る人も

本当は多いはずだ

 

友よ

6歌から読みたまえ

5歌から読みたまえ

ひょっとしたら

4歌から読むと

あまりに読みやすくて驚くかもしれない

本を最初の章から読むというような

悪癖というか

たんなる馬鹿な紋切り型行為というか

それを捨てる好機にも

なるかもしれない

 

人生を終わりから生き始める挑戦も

できるようになるかも

しれない

 

老いてからも

ロートレアモンとランボーに熱中し続け

何度目かのロートレアモン論を書き上げた出口裕弘さんと

外苑前のバー「ハウルHowl」を上ったサロンで

いろいろ話したことがあった

 

旧制浦和高校時代に同学年で親友となった澁澤龍彦が

どうしてもランボーを理解できなくて

どうしてランボーなんか好きなんだ?と

よく聞かれたと言っていた

 

しかし

歳を重ねるほど

ロートレアモンやランボーに惹かれ直していくのも

わかるのだ

 

だんだん

わかってくる

 





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